服部幸應さん78歳で逝く…自身への騒動や批判にも温かく率直だった“太っ腹”な生きざま
このほど78歳で亡くなった服部幸應さんは服部栄養専門学校校長で「食育」の重要性を説き、「料理の鉄人」「愛のエプロン」などバラエティー番組にも出演。長年、お茶の間にも親しまれたが、調理師免許を取得していないことなどが明らかになり、ちょっとした騒動になったこともあった。2001年、調理師の育成をすすめる「社団法人全国調理師養成施設協会」の会長選挙でのこと。当選後の記者会見で当時55歳の服部氏はこう言った。 【追悼】陳建一さん 「料理の鉄人」終了後も大人気だった“中華の鉄人”の功績とバリュー 「学校経営に調理師免許は必要ない。あった方がいいと思うが、学校に1年通ったりしないと試験が受けられず、今さら取りにいけません」 さらにその6年後の07年には、名前と経歴の詐称疑惑が浮上。本紙で連載中のグルメライターがブログで「服部幸應氏の本名は『服部』ではない」「本当に戦国時代から続く『服部流割烹』の直系なのか?」と問題提起したのだ。服部氏は弁護士同伴で本紙の直撃取材に応じ、こう答えた。 「戸籍上の名前は染谷幸彦です。別に隠す意図はなく、ペンネームのようなビジネス上の通称です。父の染谷栄が『服部道政』という通称を使用していて、学校を引き継いだ30年前から私も使っています」 当時、世間に出回っていたプロフィルには「永禄4年(1561年)より続く服部流割烹家元の家系」とあったが、実際はこうだった。 「染谷家と服部家とは血のつながりはありません。父が戦前に服部家の料理学校を手伝っていた縁で、歌舞伎などの伝統芸能のように“服部”の仕事を代々継承しているという解釈で服部姓を名乗っています。だましているつもりはありませんが、4年前に服部家の血筋の人から“おかしい”とクレームがついたので、それ以後は学校のHPに掲載していた経歴は削除。マスコミの取材でも『服部流割烹家元』という表現は使っていません」 そしてこう訴えた。 「プロフィルの変更は特に公表しませんでした。だからといって、僕は“食育”などを通じて職務を全うしているつもりだし、信用を揺るがすものとは考えません」 ■本誌の批判報道後もインタビュー取材を快諾 本紙はこれを批判的に報じたが、2017年にインタビュー連載「あの人は今こうしている」への出演を申し込むと「取材を断ろうか、とも考えました。でも、せっかくだからこたえようと。どうしたって、いろんなことを言われるのだから。最近じゃ、インターネットで勝手なことを書かれています。インターネットでは誰が書いているのかわからないし、一方的で反論ができない。これじゃあ冗談も言えない」。 テレビ出演をはじめた経緯も「学校経営を受け継いだ当時、ウチの学校の名前を知ってもらうにはメディアだろう、と考えたのがテレビに出始めた理由です。最初は“みっともない”と反対した学校の役員も、学校の知名度が上がると応援してくれるようになりましたね」と率直に明かしてくれた。 服部氏が業務提携していた「生島企画室」会長のフリーアナ生島ヒロシはスポーツ報知に「服部さんがお父様から学校を継いだ時のことを『正直、金銭面でも経営は大変だった』と本音をお話しくださることもあった。数々の修羅場を乗り越えて学校を再興させた強い意志と、僕のことも(服部学園の)学園祭にも呼んでくれて義理堅い方でした」とコメント。 表では言えない台所事情もあり、葛藤や努力を繰り返していたのだろう。しかしながら、苦労が人を汚すことはなく、その人柄はどこまでも温かく「太っ腹」なのであった。 ◇ ◇ ◇ 記事中に出てきた2017年のインタビューはコチラ。●関連記事【もっと読む】「料理の鉄人」解説で人気 服部幸應さんは今どうしてる?…では、本人の温厚な人柄が紹介されている。