「替え歌みたい」坂本龍一氏の名曲を“K-POPが借用”で炎上…「リスペクトがない」と批判殺到のワケ
平原綾香『Jupiter』と同じく陳腐な言葉に変換
今回の批判の中に、“メロディだけそのままのただの替え歌みたい”というコメントがありました。これはその通りで、今回『Supernova Love』が取った手法は、ホルストの『惑星』に日本語詞をつけた平原綾香の『Jupiter』(ジュピター)と同じなのだと思います。どちらも原曲に歌詞がない点も共通しています。 問題は、ハーモニーやメロディのスケール感によって聞き手のイマジネーションや解釈に委ねていたものが、陳腐な言葉によって矮小化(わいしょうか)されてしまったことなのでしょう。 『Jupiter』が“いつでもあなたの味方だよ”というメッセージに堕してしまったのと同じく、『Supernova Love』は、戦メリを<私の体に触って 肌と肌を触れ合わせて>(Touch my body, skin on skin)といった思春期のムラムラに変換してしまったのです。
「リスペクトがない」と批判されてしまう理由
つまり、引用すること自体が問題なのではなく、その結果、もともとの曲が持っていた価値を、不当にディスカウントしてしまった。これは作曲者の意図に反するのはよくないという道徳的なことよりも、むしろ新しく作り直した側の音楽家としての見識を問うべき問題なのですね。 メロディのみならず、使われる和音の構成も同じなので、新鮮に響くわけでもない。ただ、異なるサウンド、ビートの上で、戦メリが弄(もてあそ)ばれているという印象を受けてしまう。その工夫のなさや、新しい視点を提供しようという意欲が感じられないので、“リスペクトがない”と批判されてしまうのだと思います。 もっとも、メロディをそのまま再利用することが悪いわけでないし、創造性がないのでもありません。エルトン・ジョンがデュア・リパ、ブリトニー・スピアーズとコラボした一連の曲は、エルトンの過去のヒット曲のフレーズを複数つなぎ合わせただけの手法で作られています。 けれども、これをすべて一つの調性の中でまとめ、統一感を生み出すのは簡単ではありません。どこを切り取り、どうつなぎ合わせるかという編集作業にセンスが問われるので、それは新しい創作となり得るのです。 残念ながら、『Supernova Love』には、その意味での新しさはありませんでした。飾り付けられたサウンドは、新品という意味では“新しい”のだけれども、アイデアの面で労力を怠(おこた)っている。 坂本龍一氏へのリスペクトに欠けるところがあるとすれば、その点なのだと思います。 <文/石黒隆之> 【石黒隆之】 音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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