『ホンジャマカ』石塚英彦が語る、柳沢慎吾に憧れた「劇団ひまわり」での下積み時代とエキストラ経験
戦争映画のエキストラとして……
みなさん、ごきげんよう。鍋の肉を自分にばかり寄せて、ひんしゅくをかっていませんか。石塚英彦です。 「本業は食レポだけど、相方ともう一回コントがしたい」石塚英彦が本音で語る″ホンジャマカの未来″ 今回は、俳優になろうと心に決めた高校時代のその後のお話を。 もし、みなさんが俳優になろうと思ったら、どんなアクションをしますか。気持ちはあるが、自信も経験も無い。親や学校からも「どこの大学を受験するんだ」と急(せ)かされる。今すぐにでも俳優になりたいのに、どうすればいいのか――。 私が考えたのは、大学へ行って周囲の大人を安心させつつ、演劇部に入って演技の勉強をするという作戦でした。大学は無事に合格。正門から入ってキャンパスを歩くと、道の左右に様々な部活動やサークル勧誘の先輩たちが並んでいます。柔道部やラグビー部から声を掛けられましたが、私の心は決まっていました。 しかし、ここで大問題が。演劇部を探しましたが、無い。念のため来た道をゆっくり戻りましたが……無い。大学のパンフレットを見ると、演劇部はそもそもありませんでした。なぜ調べてから受験しなかったのか。生まれて初めてめまいに襲われました。 入学して2年が過ぎようとしたとき、テレビで『翔んだパープリン』(フジテレビ系)というドラマを観て衝撃が走りました。 内容自体も面白くて最高の作品でしたが、そこに出演している柳沢慎吾さんに衝撃を受けたのです。今までこんなに楽しそうに演技をする俳優を見たことがなかった。「柳沢慎吾さんになりたい」。柳沢慎吾さんになるには、どうすれば――。 今度はちゃんと調べました。柳沢さんは、「劇団ひまわり」の出身でした。もう自分に嘘をつくのは、やめよう。やっぱり俳優になりたい。 私は、大学を2年で休学し、代官山にある劇団ひまわり俳優養成所に入りました。当時20歳、仲間がたくさんいました。それも全国各地から。養成所では演技や発声のレッスンを積みました。レッスンの帰りには、まだ誰も現場に出ていないのに演技論を語り合いました。映画のオーディションも受けました。一生懸命やりましたが落ちました。湿布薬のコマーシャルのオーディションも受けました。背中が汚いという理由で落ちました。「いいとも青年隊」のオーディションも受けました。僕だけテレビ局の人からの質問が少なかった――。 そんななか、戦争映画のエキストラの仕事をいただきました。劇団ひまわりでのレッスン中、マネージャーさんが突然教室に入ってきて、「明日空いてる子~」と言われて、私はとにかくアクションを起こしたかったので、反射的に手を上げました。「明日6時に新宿集合~。戦争映画だから頭は坊主ね~」。 坊主頭は柔道部で慣れていたのでかまいません。問題は、「新宿に朝6時」です。当時横浜に住んでいた私には不可能です。そうだ、彼女に頼んでみよう。同じ劇団で仲が良く、レッスンの帰り、いつも東横線で途中まで一緒だった直美ちゃんです。事情を話すと家に泊めてくれました。 そして朝6時、新宿スバルビル前に集合し、マイクロバスに乗ると坊主だらけです。誰も行き先を知らされず、ただ坊主頭が同じ方向にゆられていました。現場に到着してバスから降りると、大きなダンボール箱に軍服と靴が大量に入っていました。皆、次々と自分のサイズを探し、取っていく。無い、私のサイズが無い。それを見たスタッフが「モノの無い時代に、何でオマエ太ってんだ!」。 勉強になりました。 『FRIDAY』2025年1月3・10・17合併号より 文・イラスト:石塚英彦 ’62年、神奈川県生まれ。恵俊彰とのコンビ「ホンジャマカ」で活動、「元祖!でぶや」(テレ東系)などのバラエティに加え俳優や声優としても活躍。現在、「よじごじDays」(テレ東系)の金曜MCとして出演のほか、YouTubeやInstagramにも注力している
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