【哀悼2023】坂本龍一と谷村新司は何を日本に遺したのか…まったく異なる2人のアーティストに共通する、1980年代以降に生まれた“新しい日本のスタンダード”
2023 ニッポンの悲鳴#6
今年も多くの著名人が惜しまれつつこの世を去った。なかでも有名ミュージシャンの相次ぐ訃報が印象に残った2023年。日本の音楽シーンに多大な変化と影響をもたらしたふたりのレジェンド、坂本龍一と谷村新司について振り返る。 【画像】1975年発売『今はもうだれも』のジャケットに写る、若かりしころの谷村新司
レジェンドからベテラン、90年代を熱狂させたアーティストまで…
2023年は、数多くのアーティストの訃報が我々の耳に届いた。 大橋純子、もんたよしのり、高橋幸宏ら1970~80年代に活躍したベテランに加え、KAN、BUCK―TICKの櫻井敦司、X -JAPANのHEATH、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのチバユウスケら、1990年代に頭角を表した、世代的にはまだまだ若いといえるアーティストまで。 訃報が流れるたびに、彼らが生み出した音楽と共に、自身の幼少期や青春時代を思い起こし、深い悲しみに浸る人は多かったことだろう。 特に、日本の音楽シーンに大きな足跡を残した2人のレジェンド、坂本龍一と谷村新司の訃報は、多くの人々に衝撃を与えた。 それは、彼らの音楽が長きにわたり、様相は変化しつつも、我々の人生の傍に存在していたからに他ならない。ここでは、この2人のレジェンドが、日本の音楽シーンに与えた影響を振り返ってみたい。
日本のロックシーンでは異色の存在だった坂本龍一
坂本龍一は1952年、東京都に生まれ、東京藝術大学在学中にスタジオミュージシャンとしての活動をはじめる。 藝大出身という肩書き、「教授」というあだ名から想起されるアカデミックなムードは、日本のロックシーンでは異色の存在であった。 1970年代には大瀧詠一や山下達郎らの作品に参加、大貫妙子のアレンジャーとしても深く関わり、歌謡曲がメインストリームだった日本の音楽シーンの中で、多くのフォーク、ロック系アーティストと交流を深める。 その活動が実を結んだのが、細野晴臣の誘いを受け、高橋幸宏と共に1978年に結成されたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)である。 1979年から1981年にかけては、前述の大瀧、山下といったロック系のアーティストたちが次々とブレイクし、日本の音楽シーンのメインストリームに送り出されて行った時期だった。 その最大の求心力となったのがYMOで、テクノポップという新たなジャンルの音楽は、小学生層まで巻き込んで爆発的な人気を獲得。 特に坂本はメンバーの中でもサブカルチャーのアイコン的存在となり、1982年にはRCサクセションの忌野清志郎と組んで『い・け・な・いルージュマジック』も大ヒットさせた。その忌野清志郎も2009年に、58歳の若さで他界している。