いぶし銀の守備職人・平田勝男が64歳でビールCM出演を実現できた理由【逆転野球人生】
引退後もさまざまな役職に
87年まで4年連続でゴールデン・グラブ賞を獲得するリーグを代表する遊撃手として鳴らすが、88年には掛布が電撃引退、バースも途中退団と猛虎打線も急激に弱体化。チームの若返りの方針や和田豊の台頭もあり、平田は徐々に出場機会を減らしていくが、プロ9年目の90年には選手会長にも就任している。週べの名物コーナー「BOX SEAT」で「好きな一冊」というテーマがあれば毎回のように登場。学生時代から変わらず「龍馬がゆく」や「三国志」の歴史物をあげ、映画「ポリスアカデミー」シリーズがお気に入りで、アイドルの薬師丸ひろ子にハマり出演映画を片っ端から観た。 ベテランになっても変わらず人が良く、自身のポジションを奪った和田に度々アドバイスを送り、レギュラーを外されても腐らずベンチから大声を張り上げる。 「チームへの応援は自分への奮起です。声を出して自分の気持ちを高めること。さあやるぞって……」
現役晩年は左ヒザの手術や右太もも内転筋の肉離れに苦しみ、二度の脱臼を経験した右肩の状態も万全には程遠く、プロ13年目の94年限りで現役を引退する。掛布もバースも岡田も最後は寂しく阪神を去ったが、平田は94年10月1日、広島戦が行われた甲子園でナインからの盛大な胴上げで送り出された。通算979試合、633安打。目立つタイトルや数字はなくとも、コツコツと信頼を積み重ね、その存在は歴代の監督たちから重宝された。若手時代、球団OBが平田のプレーをこう評している。 「最近は芸能人みたいに派手な選手が多いなかにあって、彼は得難い存在ですよ。掛布や真弓と違って、バイプレーヤーに徹しているが、実に手堅い働きをする。将棋でいえば銀。ハーフバウンドの処理なんか抜群にうまくて、玄人好みのするタイプ。順調にゆけば、球団の内野守備コーチとして残れますよ」(週刊新潮85年11月21日号) 主役の王将でも飛車角でもなく、しぶく光るいぶし銀。なのに気難しい職人肌ではなく、コミュニケーション能力にも長けている。組織の中で長く生きられるのは、えてしてこのタイプだ。OBの予言通りに引退後の平田は阪神で守備・走塁コーチ、二軍監督、一軍ヘッドコーチ、さらには明大の先輩・星野仙一が監督就任すると監督専属広報としてついた。そして、2023年、再びヘッドコーチとして、岡田監督と85年Vをリアルタイムで知らない若い選手たちの間を持ち前の明るさで繋ぎ、チーム38年ぶりの日本一に貢献するのである。 その祝勝会の中締め挨拶で、「全国の野球ファンのみなさん、『おつかれ生。』です。スーパードライ! コマーシャル待ってます! ありがとう!」と平田ヘッドが絶叫すると、SNSを中心に大きな話題となり、なんと本当にアサヒビールからCM動画への出演オファーが届くのだ。動画内でも、「おつかれ生です。はスーパードライじゃなく、マルエフなんです」としっかり突っ込まれるおとぼけミッキーキャラは健在だった。 男の人生なんて一寸先はどうなるか分からない──。その昔、甲子園開会式の前夜に旅館の大鏡の前に立ち、選手宣誓時の“一番よいテレビ映り”を研究した17歳の平田勝男は、64歳になり、アサヒ生ビール片手にカメラの前で微笑んでみせたのである。 文=中溝康隆 写真=BBM
週刊ベースボール