国民全体が他責思考だとどうなるのか?事件や事故、天変地異も政府の責任になる韓国という国の国民性
■ 地震で浮き彫りになる地域対立と韓国人の本音 「余り大きな被害が出ないことを心から、願います。被害が出たらいろいろな意味でこの国がうるさくなるから」 「心配は心配だけど、あ、あっち方面だ、って思っちゃった」 そんな声がちらほらと見られた。あっちというのは、ソウル近郊から見た南西方向のあっちである。 もともと韓国は、右派VS左派の政治的対立が根強く、それがそのまま地域別対立につながっている。対立というよりは、ソウル近郊に住む右派が全羅道の住民を卑下しているようにしか、筆者の目には見えないのだが。 彼らが考えていることは、こうだ。もし全羅道で地震が起こったら、2014年のセウォル号の事故や2022年のソウル梨泰院雑踏事故の様に、遺族や左翼系の政治活動家たちが執拗に政府の責任を追及し、それによって自分たちが面倒なことに巻き込まれるのではないかということだ。 確かに全羅道地方というところは、左翼系の勢力が異常に強く、政治家はほぼすべて左翼政党から選出される。セウォル号事件から10年経った今も、筆者の住む市には、セウォル号被害者のために焼香台を置いたテントが張ってある。 そこは梨泰院で事故が起こった後には、その事故被害者のための焼香所になり、小学校教師が保護者のパワハラを苦にして自殺した去年には、教師たちがデモをする場所となった。 そして、もともとその場所は、いわゆる「従軍慰安婦」をモデルにして作られた少女の像が置かれている場所である。 左翼的な活動家というのは、皆どこかでつながっているのだろうな、これらの活動資金はどこから来るのかなと、現場を見るたびに思う。
■ 常に悪いのは政府で自分たちは犠牲者 我が家の長男が高校1年生の時、セウォル号被害者追悼のシンボルマークである黄色いリボンのキーホルダーを学校で作ってきたことがある。 「えー、ナニコレ? ママも欲しいなー」とわざと冗談で言ったら、「いっぱい余ってたよ、欲しかったら明日また持ってきてあげるよ」という答えが返ってきた。 息子の高校は、もともと左翼思想が強いことは分かっていたが、学校の予算でこんなこともしていることに、改めて感心した。 韓国で犠牲者が出る大きな事故が起こるたびに、ニュースから流れてくるセリフがある。 「これは政府の責任で、自分たちはその犠牲者だ」「殺人だ」 韓国は昔から「安全不感症」と呼ばれ、普段から危ないなと思うような場所でも放っておかれることが多く、事故や災害が起こって初めて騒ぐ。かなり騒ぐ。そして、それが政府の責任にされてしまうのである。 現在も事故当時を振り返る新聞記事には「梨泰院惨事」と表記される。この表現のニュアンスがまた問題なのだ。 韓国語は「惨事」と「惨死」が同じ発音表記で「チャムサ」になるのだが、漢字を知らない韓国人にはどちらかの区別がつかない。もしかしたら、使っている当事者たちも分かっていないかもしれない。 このように「悪いのは政府、被害者は私たち」と、市民の感情と世論を動かして、正義感のようなものを扇動しているように見える。 大半の韓国人は「自分が正しい」と思っている。それが誰のどのような影響を受けているか、そういうことは全く考えずに、「自分の考えは、自分が思いついたものだからそれが正しい」と思い込んでいる。対立が起こった時には、拍車がかかりもっと激しい思い込みになる。 だから韓国人は、トラブルが発生した時に自分の感情に接触する何らかのものを見つけると、相手を激しく攻撃するのだ。