【世界の野球(4)】「アメリカで野球がしたい!」楽天初代GMに猛アピール
楽天初代GMに猛アピール
その年の春、仙台大に戻ってトレーニングを続ける私にチャンスが訪れた。ある日、大学で重りを上げていると、東北楽天ゴールデンイーグルス初代GMのマーティ・キーナート氏が視察に来たのだ。先輩方にそそのかされたこともあり、必死で重りを上げてアピールした。それが、何の意味があったのか、またはキーナート氏の記憶に残ったかは定かではないが、テレビの画面上で見ていた人物を目の前に、不思議な力が湧いてきたのを覚えている。 その後、キーナート氏の仙台大学副学長就任を知った。「ものすごいチャンスだ」と思った私は、キーナート氏の研究室を訪ねるようになった。フロリダで学んだように、自分を語る全ての資料を毎回キーナート氏の研究室に持ち入り、「アメリカで野球を続けたい」とお願いにお願いを重ねた。アメリカでの生活と違い、日本語で自分の想いを伝えることができ、私にとって非常に幸運な環境だった。
ついに受け入れチームが決まった
4月、アメリカではトライアウトシーズンを終え、多くの球団では5月に開幕するシーズンに向けて、スプリングトレーニングなどの準備が始まっている。私は、チームが決まらず、何の予定も決まっていなかったが、既に休学を決め、何の当てもないのにアメリカに戻ることだけを決めていた。 そんな状況が続いていた4月23日、朗報が入った。キーナート氏の仲介により、カリフォルニアにある「メアリーズビル・ゴールドソックス」というチームで受け入れてもらえることが決まったのだ。決して私の力ではなかったが、キーナート氏のおかげで、再びアメリカで野球をする念願が叶った。 またも私は人に助けられ、居場所を見つけることができた。このころ、徐々に「誰かのために」野球をすることが、楽しいという気持ちになっていた。こうして、2010年の夏はアメリカで過ごすチャンスを得た。 ◆色川冬馬 1990年仙台市生まれ。聖和学園高校、仙台大卒。大学在学中にメジャーリーガーを目指し単身渡米。2年後独立リーグと契約。米・メキシコ・プエルトリコ等のリーグでプレーした後、2013年現役引退。宮城で中学生を指導している中、イランでもユース世代に野球指導。その実績が認められ2014年イラン代表監督就任。16年間で1勝しか出来なかったイランを2015年西アジアカップで準優勝に導き、パキスタン代表監督に就任。9月のアジア選手権でパキスタン代表を初のWBC予選出場へ導いた。リトルリーグのラテンアメリカ野球選手権日本代表監督も務める。
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