219勝投手・山本昌の矜持から見えた、中日ドラゴンズの強さの理由。
【連載⑬・松岡功祐80歳の野球バカ一代記】 九州学院から明治大学へ入学。そしてかの有名な島岡吉郎監督の薫陶を受け、社会人野球を経てプロ野球の世界へ飛び込んだ。11年間プレーした後はスコアラー、コーチ、スカウトなどを歴任、現在は佼成学園野球部コーチとしてノックバットを握るのが松岡功祐、この連載の主役である。 【写真】強い中日をつくりあげた落合博満 つねに第一線に立ち続け、"現役"として60年余にわたり日本野球を支え続けてきた「ミスター・ジャパニーズ・ベースボール」が、日本野球の表から裏まで語り、勝利や栄冠の陰に隠れた真実を掘り下げていく本連載。落合博満GМからの誘いで中日ドラゴンズのコーチ兼選手寮館長となった松岡が感じたドラゴンズの強さの秘密、そして、プロ野球界から去っていく選手たちに松岡が伝え続けた、生きていくための教えとは何だったのか? * * * 前回の連載で事の経緯はお伝えしたが、松岡がドラゴンズのコーチ兼選手寮館長に就任するにあたり、落合博満GMからは一点、「絶対に選手に手を出さないで」とだけ言われたという。 「落合さんはグラウンドには出ないけど、毎日、選手寮『昇竜館』のミーティングルームに来ました。練習後に1時間か2時間、野球の話をして帰っていく」 プロで輝かしい実績を残した選手が、二軍で調整することも多かった。 「その頃、山本昌や川上憲伸、岩瀬仁紀、浅尾拓也、吉見一起あたりが二軍で練習することがありました。みんな年齢を重ねてピークは過ぎていたんですが、投内連携(投手と内野手の守備練習)では全員がまったく手を抜かない。普通なら、流す選手がひとりくらいいるもんですけど、全員がピシッとやる。あれはすごかった。落合さんの教育の賜物だと思います」 なかでも松岡を驚かせたのは、50歳まで現役投手として投げ続けた山本昌だった。 「山本昌のキャッチボールの丁寧さを見て、本当にびっくりしました。どんなに近い距離でも、相手の胸を狙って投げる。遠投になっても、相手が構えたグラブを外すことがない。 『どうしてそんなに丁寧に投げるの?』と一度、聞いたことがあります。すると『僕は絶対にあそこ(相手のグラブ)に投げると決めています。だから僕はこの歳まで現役でやれるんです』と言っていました」 山本昌はプロ32年間で219勝を積み上げた。41歳1カ月でノーヒットノーランを達成、49歳0カ月での勝利(最高齢)も挙げている。 「ひざの痛みを抱えながらも、よく走っていました。二軍の選手にとってはこれ以上ないお手本でした。川上もプレーは丁寧だし、いつも全力でした。強いチームはベテランがしっかりしていますよね」 松岡が現役選手だった時とはプロ野球は大きく変わった。 「今の選手たちは、先輩であっても友達感覚で接していますね。昔は監督、コーチはもちろん、先輩とは話ができなかった。同じチームでもそうなんだから、ほかの球団の選手と話をすることはありませんでした」 今はチームの垣根を越えて自主トレをしたり、技術を教え合ったりすることも珍しくない。 「もし今のプロ野球だったら、自宅が近所だった王さんのところに行って『バッティングを教えてください』と言ったでしょうね。でも、そんなことはありえなかった。グラウンドであいさつするので精一杯でした」 他球団の選手は、あくまで敵だった。自チームの選手でも技術を教えることはなかった。