「いじめがなくならなくても子どもを救う方法はある」 北澤毅・立教大学名誉教授 <いじめ問題の解決法【1】>
<【1章】「いじめ」がなくならなくても「いじめ問題」は解決できる>
「いじめ問題」の最大の悲劇が「いじめ自殺」であることは誰もが認めると思います。ただ、それほど頻繁に起きているわけではないという報告もあります。 文部科学省が公表している統計「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によると、「いじめ」に関連した自殺件数は、▽2020年は小学生1名、中学生5名、高校生6名▽2021年は小学生0名、中学生4名、高校生2名▽2022年は小学生1名、中学生4名、高校生0名ーーとなっています。 こうしてみると、思ったより少ないと思う人もいるかも知れません。あるいは、公式統計に反映されていない「いじめ自殺」が他にもあるのではないかと考える人もいるでしょう。 実際、この調査の数値は、「保護者から自殺した児童生徒に対していじめがあったのではないかとの訴えがあった」場合や「自殺した児童生徒に対するいじめがあったと他の児童生徒が証言していた」場合などの事例を数え上げたものですので、暫定的な数値とも言えます。 とはいえ、何を持って確定的な数値とするかはそれ自体解釈の余地が大きく難しい問題です。そればかりか、毎年、自殺した事情が「不明」となっている割合が50%~60%に達していることも注目です。 これらのなかにも「いじめ苦」を動機とした自殺が含まれている可能性は否定できませんので、いずれにせよ正確な実態は分からないということになります。 ただいずれにせよ、「いじめ自殺」が「いじめ問題」の深刻さを象徴する悲劇であることに変わりはないと思います。 そもそも、「いじめ問題」が社会的に注目され始めたのは、1985年1月に発生した水戸市中学生自殺事件が、「死を呼ぶいじめ」という見出しのもと朝日新聞で大きく報道されたことがきっかけです(この事例については(5)で詳しく論じますが、「いじめ問題」成立の歴史については、私の著書『「いじめ自殺」の社会学』(世界思想社、2015年)が参考になると思います)。 それから40年近くが経過しますが、「いじめ問題」解決の方向性はまったく見えてこないように思えてなりません。こうした状況を打開するために求められるのは、なによりもまずいじめで苦しんでいる子ども達を希死念慮や孤独感から救い出すことです。 そのためには、「いじめがなくならなくても子ども達を救う方法はある」という考え方に基づいた具体策を早急に示す必要があります。 ただ、このような考え方には馴染みのない人も多いでしょうから、なぜそう言えるかを丁寧に論じたいと思います。