日本のギアメーカーにメタルをもたらしたのはジャンボ尾崎だった!?【空前絶後の113勝、ジャンボ尾崎の名言7ヵ条-6 】
ツアー勝利数113勝という空前絶後の記録を達成した“ジャンボ尾崎”こと尾崎将司。現在は、原英莉花、佐久間朱莉、小林夢果を始めとする多くの女子プロたちの師も務めているが、現役時代は1997年に世界ランキング5位、2010年には世界ゴルフ殿堂入りも果たした。そんな目覚ましい記録を有するジャンボ尾崎は、これまでにいくつかの名言を残している。その名言を7ヵ条とし、今回は彼の飽くなき探求心に迫る。
ジャンボ尾崎に113勝をもたらすに至った「メタルドライバー」
尾崎は40歳の時、50勝目をあげた。そこから63勝(生涯勝利数113勝、73年以降ツアー94勝、その他18勝、海外1勝)積み上げるのだが、これは世界のスポーツシーンからしても空前絶後のこと。この勝利数に寄与しているのが、メタルドライバーというのが衆目の一致するところだろう。 1987年、テーラーメイドから発売されたメタルヘッドのドライバーをひっさげて、米国遠征した尾崎。マスターズでメタルを使う理由をこう語っている。 「米ツアー選手のコースマネージメントは昔と大きく変わった。彼らはティーショットであまり神経と集中力を使おうとしない。そこで神経を使ったら、デリケートなアプローチ、傾斜のきついグリーンでのパッティングの余力がなくなってしまう。だからティーショットはかなりの確率でフェアウェイキープしておきたい。メタルならラフに行きそうなボールをフェアウェイに残してくれる。それだけで神経をすり減らす度合いが違う」
その後1989年、尾崎自身も開発にたずさわった名器「J’Sメタル」が発売されることになるのだが、そのきっかけとなったのはマスターズの前に出場したロサンゼルス・オープンだった。 尾崎のクラブ契約先の開発担当者は、尾崎のキャディバッグの中に「テーラー・メタル」が入っているのを見逃さなかった。ドライバーは契約外とはいえ、みすみす他社のドライバーが使われるのを、指をくわえてみているわけにはいかない。急遽、メタルヘッドドライバーが開発されることが決まったのだが、それまでパーシモン一辺倒だったメーカーだけにそう簡単にいくわけはない。そこから試行錯誤の連続だった。 尾崎は「今のメタルを越えるものを造ってくれ。ヘッドは今より大きいほうがいい。またネック部からフェース面につながるラインが自然になってほしい」と要望した。あれだけクラシッククラブにこだわっていた尾崎の大変身だった。しかし名器といわれるクラシッククラブに精通したからこそ、ドライバー素材のメタルにたどりついたという見方もできる。 「僕のヘッドスピードだとパーシモンでは球離れが遅すぎる。メタルだとちょうどいいんだ」。パーシモンではあまりに速いヘッドスピードだと、スピン量を増やし、吹きあがってしまうという欠点があった。インパクトでフェースとボールの接点が長いせいであった。球離れの速いメタルは、その欠点を見事に消してしまった。