「女性が10億円横領した事件がきっかけ」人気作家・川村元気が語る3年ぶり長編小説
馬と触れ合うほどに馬の魅力は増す
小説を書くにあたり、川村さんは、20以上の乗馬クラブを訪れ、50人ほどの馬の乗り手に話を聞いた。自身も馬に乗り、100頭以上の馬と触れ合った。 「乗りはじめはお互いにギクシャクしているんですが、ある瞬間、馬と自分がシンクロする。すごい快感です。右へ曲がろうと思うより“すこし先に”さっと右に曲がってくれたりする。しゃべらなくてもわかってくれると感動しちゃう。“馬が合う”という言葉があるけど、ばっちり相性が合った馬に乗ると、運命を感じる。この馬が欲しい、他人に乗られるのは嫌だと思う気持ちになるんです。 馬はセクシーです。筋肉質でカッコよくて、マッチョに肩車されている、そんな感じ。でも瞳はすごくピュアで一生懸命。胸を打たれます」 主人公の瀬戸口優子は、短大を出て造船会社の事務員として働き、25年。無口で地味。黙々と仕事をし、組合の経理も任されている。ある日、馬運車から逃げ出し、国道に立っている馬と目が合い、語りかけられた気がした。 優子は、この馬“ストラーダ”に乗るために、乗馬クラブに通うようになる。 「馬は人間をよく見ています。無理に引っ張っても動かない。人間は言葉や力で人を動かそうとする。馬は、時間をかけて触れ合って、気分がシンクロしたときに引くと、スッと動く。これって、コミュニケーションの正しいカタチだなと思いました」 優子とストラーダは、呼吸を合わせ、リズミカルに駆ける。お互いに信頼し愛を感じ、優子はこの馬が欲しいと思う。そのためには、高額を払うしかない。 「馬は贅沢品。乗馬クラブには女性が多く、エルメスの高級馬具を仕立て、自身もエルメスの服を着ている方がいます」 優子も例外ではない。ストラーダにお金を注ぎ込み、蜜月と転落の人生が転がり出す。サスペンスフルな展開と、疾走感あふれる文章に、ワクワクドキドキが止まらなくなる。
時代の気分が物語に息づいている
小説でも映画でも、川村さんが手がけたものは、必ずといっていいほど話題になる。時代の気分をつかむのが的確だからだろう。 「谷川俊太郎さんに“集合的無意識”という言葉を教えてもらいました。これは、人間が共通して感じる無意識のこと。みんなが感じているけど、まだ言葉になっていないもの、それを物語にしたいという思いはあります。SNSはうんざりだけど止められないというのは、僕の気分だけど、みなさんもあると思う。その気分を物語にして出したときに、“ほんそれ(本当にそれだ)”と感じる人がいるとうれしいですね」 小説、映画、アニメなどいくつもの表現手段を、どう使い分けているのだろうか。 「集団的無意識にあるものを表現したいというのは、同じです。ひとりで深く潜りたいなら小説、皆で高みに至りたいなら映画など、物語によって手法を変えます」 『私の馬』は、小説がふさわしい。 「文章のリズム感やページをめくるタイミングなど、音楽を聴くように読んでほしいと工夫したんです。表紙の漆黒の馬の絵は、現代美術家の井田幸昌さんに描いてもらい、しおりは焦茶色で先をふわっとさせて、馬の尻尾みたいに。帯はオレンジ色で、エルメスに包まれているように。紙の本ならではの楽しみ方ですね」 本の魅力が詰まった一冊。ぜひ味わってほしい。 教えて!「最近の川村さん」 「小説を書くときは、パチンコ屋で当たりそうな台を選ぶ感じで(笑)、カフェだったり自宅ソファだったり、場所をうろうろ探して書きます。この小説を書いているときはバッハの『ゴルトベルク変奏曲』をずっと聴いていました。馬の足音や走るリズムに近いなって思って。ぜひこの本を読みながら聴いてみてください」 川村元気(かわむら・げんき)●1979年横浜生まれ。上智大学文学部卒。『告白』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『君の名は。』など数多くの映画を製作。著書は『世界から猫が消えたなら』『億男』『神曲』など。自身の小説を原作とし、脚本・監督を務めた映画『百花』は第70回サン・セバスティアン国際映画祭「最優秀監督賞」を受賞。新著に『私の馬』。 取材・文/藤栩典子