【ラグリパWest】選手のために…。稲西輝紀 [ラグビーB級レフリー/島津産機システムズ]
稲西輝紀(いなにし・てるき)は修士の学位を持っている。大学院まで物理を勉強した。この4月から技術職として働いている。 同時に新進気鋭のラグビー・レフェリーでもある。稲西の資格はB級。最上のA級に続く。理系の院生出身レフェリーは珍しい。昔は競技に直結する体育教員が相場だった。 物理とラグビーの共通点を聞く。 「うーん」 難しい。1月と早生まれのため、今年25歳の学年である。 「両方とも頭を使うことはつながります」 笑うと目は一直線になる。茶色の日焼けとあいまって、農家のような篤実さがあふれる。取材には約束の30分ほど前に現れた。 大学と大学院の6年を過ごしたのは立命館だった。理工学部の物理科学科である。 「物理とはものの理(ことわり)です。起きる現象はすべて説明できます」 研究対象は地震だった。 「直径50ミリ、高さ100ミリの円筒を圧縮して壊します。センサーをたくさんつけて、小さな波動をとらえ、解析しました」 出身の愛知県では東海地震がうわさされ、小5で東日本大震災があった。「世のため、人のため」がその学問の根底にある。 レフェリーも選手のためである。 「判定をしているのではありません。30人の選手といいゲームを作ってゆきたいのです」 レフェリーを志して6年目。9月29日には関西大学Aリーグの天理×同志社を担当した。試合は52-28で天理が勝った。 その試合を稲西より1学年上の松下忠樹(ただき)が見ている。 「若手でトップのうまさだと思います。落ち着いています。パニックになりません」 その特質は理系の賜物ではないか。研究とは地道な長い時間を積み重ねである。松下はS東京ベイのチームマネージャー兼採用で、明治の大学時代、レフェリーもこなした。 稲西はレフェリングの理想を話す。 「実力で勝って、実力で負ける。難しいですが、そういう笛を吹きたい。僕自身が注目されるのは好きではありません」 その思いはラグビーの<トップメディア>である藤島大の考えにも沿う。 藤島は『審判員 笛吹次郎氏の嘆き』を書いた。月刊誌、ラグビーマガジンの名物巻頭コラム、「Dai Heart」の2023年7月号だった。いみじくも松下のいるS東京ベイのリーグワン制覇、初の日本一を伝える号だった。 試合後、酒場に笛吹氏が顔を出す。 「ねえ。きょうってレフェリーいたのかしら」 その質問に当の笛吹氏が返す。 「本当ですね。一体だれだったのでしょう」 そして続ける。 「よいゲームに乾杯」 藤島が書きたかったのは、「選手の邪魔をするな」ということである。お互いのプレーを十二分に引き出す。やり合わせる。そのためにレフェリーがいる。藤島と40近くも年が離れた稲西にその思いが宿る。 稲西は島津製作所のラグビー部に所属する。この精密機器メーカーは京都市内に天然芝グラウンドを持ち、チーム名は「Breakers」。稲西はサポートスタッフである。 「普段は練習の手伝いをしています」 このチームはトップウェストのAリーグに所属している。リーグワンのディビジョン1から数えれば、四部になる。 稲西はレフェリーとしてのトレーニングもこのグラウンドを軸にこなす。 「週2回くらいですかね」 インターバル走が中心になる。チームコーディネーターに加藤真也(まさや)がいることも心強い。元トップレフェリーである。 勤務先はグループ会社の島津産機システムズ。滋賀にある本社工場で働いている。 「今はポンプなどを顧客の求めに応じて改修する図面を引いています。楽しいです」 研究対象が地震からポンプに変わっても、目の前のことを前向きにこなしてゆく。 稲西が競技を始めたのは中学入学直後だった。中高を私立進学校の名古屋で過ごした。 「体験入部でボールを持って走るのが楽しかった。先輩方も盛り上げてくれました」 立命館でCTBからFLに転じた。当時の体格は174センチ、86キロ。 「得意なプレーはタックルでした」 ボールの争奪戦、いわゆるブレイクダウンにおける選手たちの気持ちを理解できる。 大学2年でレフェリー専門になる。 「2学年上の齊野さんに影響を受けました」 齊野翔(さいの・かける)は花園Lでレフェリーやアナリストをつとめ、今は東京SGに移籍。分析を担当している。 稲西は昨年度、関西大学Aリーグと高校全国大会でデビューを飾る。Aリーグは第2節の天理×関大。年末年始の103回大会は2試合を任される。8強戦の桐蔭学園×東海大仰星と2回戦の流経大柏×尾道だった。 その能力を評価した日本ラグビー協会は今春、稲西をレフェリー・アカデミーに入れた。この組織は2005年、若手育成のために立ち上げられ、今は三重Hの選手から転身した近藤雅喜、京都成章の高3、延原梨輝翔(りきと)、女性の池田韻(ひびき)がいる。 稲西はまた昨年度から、関西Aパネルレフェリーの一員でもある。関西ラグビー協会が選出し、主催をする関西大学AリーグやトップウェストAのレフェリーに指名される。 抜擢にも稲西に浮かれたところはない。 「上を目指すというより、チームのやりたいことを感じながら、うまくなりたいです」 あくまでも<担当チーム・ファースト>を崩さない。その姿勢で試合に臨む限り、選手や指導者からの信頼を得る。結果として、「名レフェリー」の道を歩むことになる。 (文:鎮 勝也)