『スパイダーマン:スパイダーバース』映画音楽とヒップホップの融合 ダニエル・ペンバートンが語る
アニメ映画『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018年公開)を上映しながら、そのスコアをオーケストラ+ターンテーブルの生演奏で味わう未曾有のショー、『スパイダーマン:スパイダーバース LIVE IN CONCERT』が待望の日本初上陸を果たした。同作のスコアを作曲したダニエル・ペンバートン、スクラッチを担当したDJブレイキー(イギリスDMC大会の2004年チャンピオン)と、東京フィル特別編成オーケストラ/指揮:栗田博文という組み合わせで、8月19日にパシフィコ横浜 国立大ホールでの一夜限りのコンサートが実現。 【画像を見る】ダニエル・ペンバートンの近影 従来のシネマコンサートと一線を画すのが「生演奏での完全再現」にこだわる徹底した姿勢で、スコアの演奏はもちろん、劇中に登場する口笛やボールペンをカチカチやる音までダニエルが自ら実演してしまう。楽曲を彩るスクラッチやパーカッションもオーケストラと呼吸がぴったり合い、原曲のグルーヴ感とダイナミズムを漏らさず伝える熱演は期待以上。シンセサイザーからエレキギター(!)まで楽器を持ち替えて飽きさせないダニエルのサービス精神にも恐れ入った。 『スパイダーマン:スパイダーバース』で、先に録音したスコアそのものをDJブレイキーにスクラッチさせるという妙案が奏功、映画音楽のあり方に一石を投じた革命的コンポーザー、ダニエル・ペンバートン。10代からベッドルームで多重録音を始め、90年代のロンドンでクラブ・ミュージックの革命期をじかに体験した彼は、音楽学校でクラシックを学んだタイプの作曲家とはまったく異なる背景を持つ。来日は今回が初めてというダニエルに、日本では詳しく知られていない「前歴」と、現在までの歩みを語ってもらった。 * ─1977年生まれだそうですが、音楽に興味を持つようになったきっかけは? ダニエル:意味のある最初の出会いは、父にプラネタリウムへ連れて行ってもらったことだった。10歳ぐらいのときだと思う。レーザーショーを見たんだけど、そこではシンセサイザーを使った音楽がたくさん流れていた。それが何なのかはまったくわからなかったけれど、衝撃を受けたよ。まるで何かのスイッチが入ったみたいで、人生が一変したような体験だった。 それから父が2枚のレコードを渡してくれた……ジェン・ミッシェル・ジャールとマイク・オールドフィールドだ。1年間、熱心に聴きまくった。それがきっかけで、普通のポップ・ミュージックよりも、エレクトロニック・ミュージックや、もっと型破りなサウンドをベースにした音楽に夢中になっていったんだ。 ─なるほど。楽器を習った経験はあるんですか? ダニエル:ピアノを少しやっていたけれど、初歩のグレード2でやめてしまった。それよりも自分の曲を作って他の人に聞かせたりすることの方に興味が湧いてきてね。僕は13歳の頃からビデオゲーム雑誌に寄稿していたんだ。それで稼いだ原稿料でキーボードが買えた。KORGのWAVESTATIONと、フォステックスのX-28という4トラックのマルチトラックレコーダーを買ったんだよ。それらを使って音楽を作り始めた90年代初頭は、とてもエキサイティングな時代だった。ちょうど新しい種類の音楽が出てきた時期だったからね……その頃は大まかに「アンビエント」と呼ばれていた。僕はロンドンのクラブに行って、この新しい音楽に夢中になり、自作曲を入れたカセットテープを人々に渡し始めたんだ。 ─その頃に気に入って聴いていた、あなたの基礎を作ったと思うアーティストを教えてもらえますか。 ダニエル:当時聴いていたのはフューチャー・サウンド・オブ・ロンドンのような人たちや……ジ・オーブ、エイフェックス・ツインとか。次々に台頭してきたこれらのエレクトロニックアーティストたちから大きな影響を受けた。同時に、それ以前のブライアン・イーノ、ヴァンゲリス、アート・オブ・ノイズといった人たちからもインスパイアされた。彼らの共通点は、歌詞がないレコードを作っていたこと。みんな「サウンドの世界」を作り出していて、後年僕が映画音楽へ移行したときに、そこから大きな影響を受けていたと思う。 ─1994年にリリースされた最初のソロ・アルバム『Bedroom』は日本でも入手できましたが、あれが世に出てから今年で30年になるんですね。17歳という若さでピート・ナムルックのFax +49-69/450464レーベルからアルバムが発売されることになった経緯を教えてもらえますか? ダニエル:僕はベッドルームであの音楽を全て作った。4トラックとシンセサイザーで曲を作っていろんな人にテープを渡していたら、ミックスマスター・モリスが気に入ってくれてね。彼のチャートに選んでくれたのがきっかけで、たくさんのレコード会社が僕に興味を持つようになったんだ。で、僕はFaxレーベルを選んだ。当時の僕は自分が何をしたいのか、どんな音楽をやりたいのかもよくわかってなかった。『Bedroom』は、いわば抽象的な電子音楽を集めたアルバムだったね。それがポール・ウィルムスハーストという監督に注目されて、彼は初めて僕にドキュメンタリーのスコアを依頼してくれたんだよ。そんな風にして僕のキャリアは始まったんだ。 その頃のロンドンには非常にエキサイティングなシーンがあった。ニンジャ・チューン、モ・ワックスなど面白いレーベルがいくつかあって、僕はそのシーンの一員でいられるのがとてもうれしかった。何人かのアーティストたちと仕事をしながら、自分の2ndアルバムも出すつもりだったんだけど……実はヴァージンのマッシヴ・アタックのレーベルからリリースする予定があったんだ。でも、ヴァージンは僕のアルバムを気に入らず、お蔵入りさ。彼らにとっては奇妙過ぎる作品だったようでね。 ─それは初耳です! お蔵入りとはもったいない……。 ダニエル:それが生涯続く、大手レーベルに対する不信感の始まりだった(笑)。結局、音楽業界の人々は既存のジャンルに当てはめて考えるから、それにはまらない僕の音楽は認められなかったんだ。自分の名義でなかなかアルバムをリリースできなかったせいで、下に見られたりして悔しい思いをした時期もあった。でも、映画音楽の世界では僕のクリエイティビティを自由に活かすことができた。たくさんの異なるアイデアを取り入れて、アーティストとして信じられないほどクリエイティヴになれる場所だ。 ─映画音楽を手がけ始めてからは、リドリー・スコット、ガイ・リッチー、ダニー・ボイルなど、音楽好きな監督と組むことが多いですね。 ダニエル:うん。僕がとても幸運だったことのひとつは、音楽とそれが映画にもたらすものを本当に高く評価して、何か「違うもの」を求めている監督たちと仕事ができたこと。だから彼らは僕に自由を与えて、好きに作らせてくれた。彼らが僕の作品に引き込まれたのは、僕が従来の映画音楽とは違うものを創造しようとしていたからだと思う。そして僕は今でも、新しくて変わった感じのする音楽を作ろうと努力を続けている。 もうひとつラッキーだったのは、初期に手がけたどの映画も大ヒットしなかったことだね(笑)。おかげで自分が作るサウンドが、変に型にはまらずに済んだ。作品ごとに実験を続け、まったく違うタイプのアイディアを試し続けることができたし、今ではみんな僕が「違うことをしようとしている人間」だと理解してくれていると思う。 ─ちなみに、譜面は強い方ですか? ダニエル:まあまあというレベルで、得意じゃない。前よりはずっと良くなったと思うけどね。僕のバックグラウンドは、より実験的なエレクトロニック・ミュージックと、クラシックの2つだった。つまり抽象の世界と、メロディーの世界だね。従来のクラシックのスコアにアブストラクトな興奮はない。一方、実験的なスコアは非常に興味深い世界を作り出すけれど、そういう抽象的なスコアには感情的な深みやパンチが欠ける。それら2つの世界を融合させるのが僕の仕事だと思っているよ。 ─『コードネーム U.N.C.L.E』(2015年:ガイ・リッチー監督)のスコアはアブストラクトな『Bedroom』と世界がまったく違っていて、60年代の映画音楽の質感を現代風に表現していたので、とても驚いた記憶があります。どのようにしてあのスコアを書いたのか教えてもらえますか? ダニエル:それまで20年もの長い間、イギリスのTV音楽を手がけてきたことが大きかった。あれは僕にとって学校のようなものだったよ。それ以前はオーケストラの作曲方法や、生のジャズ・バンド、ロック・バンド用の作曲方法を知らなかった。さまざまなテレビ番組に関わりながら、レコーディング技術や、プレイヤーから最高の演奏を引き出す方法など、全てを学んでいったんだ。 『コードネーム U.N.C.L.E』のスコアは本当にエキサイティングだった。あの映画で初めて、ミキシング・エンジニアのサム・オケルと組むことができたから。ご存知の通り、サムはビートルズのアルバムの新バージョンを手がけたアビー・ロード・スタジオのエンジニアだ。僕らは昔ながらのレコーディング技術について、最高の知識を持っている。あのスコアでは、60年代に可能だったのと同じドラムのサウンドを表現することに重点を置いた。僕はラロ・シフリン、ジョン・バリーといったコンポーザーのスコアを耳にしながら育ってきたからね。(『コードネーム U.N.C.L.E』の元になった)『0011ナポレオン・ソロ』の音楽もお気に入りのひとつだったから、ここでの経験を通して新しいテイストを自分のものにしたんだ。 ─その『コードネーム U.N.C.L.E』や『オーシャンズ8』(2018年)の60sサウンド/ラウンジ・ミュージック的なタッチが頭にあったので、『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018年)のスコアはそれらとかけ離れていて驚愕しました。 ダニエル:僕はいつも観客のことを考えている。そして、映画が一番エキサイティングなエンターテイメントだと思っているんだ。映画館へ行ってみるまで何を見ることになるかわからないし、「体験」をするものだから。でも過去10年ぐらいの傾向として、人々が予め期待しているものを与えるのがトレンドになってきているように感じる。同じことを何度も繰り返すような、そういう種類の映画は避けるようにしているよ。自分のスコアがどんな音になるかまったくわからない、そういう仕事をするのが僕は好きなんだ。商業的に成功するかどうかよりも、クリエイティヴになれるかどうかが僕にとっては重要だから、大作からかなり低予算の映画まで、いろいろな種類の作品を手がけている。 ─2020年の『ライジング・フェニックス:パラリンピックと人間の可能性』というドキュメンタリーでは、障害を持つミュージシャンたちとコラボしましたよね。 ダニエル:あれは今言った「大きな予算を持たない映画」の良い例だ。テーマ曲の「Rising Phoenix」は、僕が最も誇りに思っている作品の1つ。彼らは素晴らしい仕事をしたよ。2人のラッパーのうち、キース・ジョーンズは脳性麻痺を患っている。キースの声は、一聴するとすぐに彼とわかるよ。彼の声は少し不明瞭だけど、とても個性的だ。今まで聞いたことのない形のラップを聞くのはとても興味深かった。この曲をもっと多くの人に聴いてもらいたい。