田村正資 競技クイズから哲学の道へ。情報をなぞるだけではない魅力とは【著者に聞く】
――本書を通して一番伝えたかったことは何ですか。 博士論文を書籍化したので、研究の過程で出てきた問いと、私なりの解答をまとめた本になっています。その中でも「はじめに」は本書用に書き下ろし、一番面白いと思うモチーフを読みやすくまとめました。 端的に言えば、生活を振り返ったときに、思った以上に私たちは自分のやっていること、考えていることをはっきりとは認識しておらず、世界に寄りかかっているんだということです。例えば私から見えている世界は、そこだけ切りとっても、頭のなかで思い描き切ることのできない細部を持っています。ところが、細かいところが曖昧でも、日常生活にはなんら支障はありません。それは、世界に身を委ねているからです。その不思議さ、面白さを20世紀フランスの哲学者メルロ=ポンティの思想を基に考察しました。 ――「試問的な様態で存在する世界」というワードが本書の一つの軸になっています。 要は、世界はすでに決まりきったものではなくて、私たちとの関わりのなかで具体的な内容を持ち始めるという考え方です。会議室の中に机やお茶、本があったとして、それらを認識する人たちがいなくなったとき、究極的には人類が絶滅したとき、「そこにあるのは机です」と言えるのか。 私たちは世界への「問い」として生まれてきて、それに応答するかたちで机や椅子が世界から切り出されてくる。メルロ=ポンティは「人間が生存する以前に太陽はすでにあった」との命題に単純には同意せず、科学的な真理ですら、私たちと世界との出会いを抜きにしては成立し得ないことを確認しようとしています。 ――メルロ゠ポンティを研究するきっかけはありましたか。 メルロ=ポンティは、経験している世界を別の角度ややり方で観察することが楽しいということを教えてくれました。哲学はみんなが当たり前だと思っていることを疑って、そこから新しいものの捉え方や考え方を導き出すことを歴史的にしてきた学問です。メルロ=ポンティは身体と世界との関わり方を起点とする哲学を開拓した人で、その日常的な身近さに惹かれました。 たとえば将棋の棋士は、いろいろなものを将棋になぞらえて理解したりすることができます。アニメ鑑賞やゲームも一つの見方より、複数の見方で見たり考えたりしたほうが楽しめます。 ――田村さんと言うと、かつて高校生クイズに出演していた印象を持つ人も多いと思います。 高校時代は競技クイズに力を注いでいました。競技クイズは自分がまだ知らない、体験したことのないものを情報として頭に蓄えて、いかにうまくアウトプットできるかを競います。大学に入るとクイズからは距離を取って、哲学という「答えのない」探究に入っていきます。ただそれは、自分にとって非連続な転向ではないんです。クイズが、私たちと世界との関わりについて、もっといろいろ面白く考えられそうなきっかけをくれたんです。 たとえば、「日本の総理大臣を五十音順に並べた時、最初に来るのは芦田均氏ですが、最後に来るのは誰でしょう」というクイズ。答えは若槻礼次郎氏で、覚えてしまえばそれで終わりです。しかし、パターンとして頭に入れれば攻略できるようなクイズでも、初めて聞いた時は、このように作問できるのはすごいと思いましたし、そのクイズが生まれたことで、世界に新しい知識が足されている気がしたんです。これまで社会の教科書に書かれたことがあっただろうかと。クイズは世界に登録されている情報をなぞるだけではないという発見がありました。 よく考えると学問も同じようなところがあり、そうして私の哲学が始まったと思います。今は会社勤めをしながら、日曜哲学者として学会に出たり、論文を書いたりしています。哲学業界に対してもいろいろな貢献の仕方があるので、模索しながら執筆やお話の場を広げていきたいと思っています。 (『中央公論』2025年1月号より) 田村正資〔たむらただし〕 1992年東京都生まれ。株式会社baton勤務、哲学研究者。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は現象学と知覚の哲学。主な論文に「メルロ゠ポンティのグールヴィッチ批判」(メルロ゠ポンティ研究賞)など。