ドジャースのロバーツ監督は沖縄生まれ 37歳で血液のがんと診断 日本語も「少し」できます
大谷翔平選手が所属するロサンゼルス・ドジャースのデーブ・ロバーツ監督は沖縄・那覇市生まれというのはみなさんご存じでしょうか。父親が海兵隊に所属していて沖縄の基地に勤務していたことがあるそうで、日本人女性と結婚。そして、ロバーツ監督が生まれました。 【画像】大谷翔平選手と交渉のために会ったことを明かしたときのロバーツ監督 その後はアメリカ軍の基地を点々とする生活が続き、大学はアメリカのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)を選びました。 メジャーリーグには1994年のドラフトで指名され、タイガースに入団。左投げ左打ちの外野手としてドジャースやパドレスなどを渡り歩き、09年に引退を発表しました。引退後はパドレスの特別補佐に就任しましたが、翌10年、37歳の時に血液がんの一種であるホジキンリンパ腫と診断されました。しかし、闘病生活を乗り越え、1年もたたないうちにコーチとして現場に復帰しています。 2016年にドジャースの監督として就任。20年にワールドシリーズを制覇し、黒人としては2人目、アジア人として初めてワールドシリーズを制覇した監督となりました。 アメリカの人気ラジオMCであるダン・パトリックの番組に出演したときには、「少し」「友達」「20まで数えられる」など、日本語ができることを明かしています。大谷選手にとっては心強い味方となりそうです。