【ニッポンチャチャチャ】今や大人気のニッポン製スポーティコンパクトカー ドイツ人クルマ馬鹿が出会った衝撃の3台とは?
1990年代末、私は記憶に残る3台目の日本車に出会った。1968年式の「ダッジ チャージャー」に乗り、オルデンブルク近郊の田舎町に友人を訪ねていたとき、リップスティックレッドの「トヨタ セリカ」が私の隣に停まった。天にも昇るようなコークボトルのデザイン(スペイン語で「天空」)は、「コモドールAクーペ」さえも味気なく見せていた。
トヨタは1970年に「トヨタ カリーナ」をベースとした独自のクーペシリーズを発表し、2005年まで8シリーズが生産され、400万台以上を売り上げたアジアのベストセラースポーツクーペとなった。典型的な縦型テールライトを持つ最初のシリーズは、自然と「マスタング」のファストバックを連想させ、Cピラーのサイドエラも「セリカ」を実際よりも速く見せていた。ツインキャブレターを搭載していたにもかかわらず、当初は107馬力以上を出すことができなかった。当時、私はこの1,000kg近いスポーツクーペの本当のフィーリングを体験することはできなかった。しかし、試乗をせずとも、今日ひとつだけはっきりしたことがある。もし日本車が私の所有車を豊かにすることが許されるなら、それは間違いなく初代「セリカ」だろう。
結論
1984年にアルファヴィルが「ビッグ イン ジャパン」という曲で登場したとき、この曲が私の高速道路のプレイリストに載る日が来るとは思ってもみなかった。それから40年後の今、この曲は私のカセットラジオでAC/DCの”It’s a Long Way to the Top “とJamiroquaiの”Cosmic Girl”の間に流れている。変なミックス?もちろん、極東から来た私の車のお気に入り「トップ3」のようにね。クルマは音楽と同じで、既成概念にとらわれず、「ダットサン240Z」や「トヨタ2000GT」よりもあまり知られていない日本車と関わることができる。
Text: Helge Thomsen