「なんでそれくらいの言葉で?」あまりにも激昂してしまう人が抱えている慢性的な敵意とは。自分に自信がない人ほど、否定的に物事を捉えてしまうカラクリ
「人生、こんなはずじゃなかった」の嘆き #2
人が怒りを感じるのは自然な感情であり、ときには行動の適切なモチベーションになることもあるだろう。だが、あまりにも激昂してしまう人は、自分の心にも原因がないか探ってみたほうがよさそうだ。 【画像】ナルシストも自分に自信がないことの現れである
『「人生、こんなはずじゃなかった」の嘆き』より、相手の言葉以上に深く受け取ってしまっていることがないか、自分の心を見つめ直すための思考法を一部抜粋して紹介する。
なんであんなことで、あんなに怒るのか?
攻撃性は、直接表現されなければ、その人の心の底に蓄積されていく。ある人の何気ない言葉が、その人の蓄積された憎しみに火をつけてしまったということがある。 だからちょっと人が何か失礼なことをしたというだけで怒りが収まらない。 その場に不釣り合いな怒りを表現するときには、その人の中に怒りの抑圧がある。 小さい頃から敵意を次々に抑圧していくと、敵意がその敵意の対象から乖離して一般化する。もう誰も彼もが憎らしくなる。 ちょっと失礼なことというだけで、心理的に不安定になり、ベッドに入ってからも怒りが収まらない。怒りでなかなか眠れない。 やっと寝られたと思うとすぐに目が覚める。そして怒りはもっと酷くなっている。そうして暗闇の中で朝まで眠れない。 そういうことが日常茶飯事である。単なる失礼な言葉がそこまで凄い影響を持ってしまうのはなぜか? それは敵意が、単にある人への隠された憎しみという段階からさらに別の人への隠された憎しみと複雑に融合し、変容し深刻化しているからである。 そうした敵意が、心の中に表現されないままに慢性化してくる。 敵意が慢性化しているということは、その人は「すぐに怒る性格」だということである。 特定のある人に怒っているのではない。誰であっても怒りの対象になる。そのたまたま導火線に火をつけた人に向かって、溜まった怒りが爆発する。 そしてその慢性化している隠された敵意は、その人の心の独裁者になる。逆らうことはできない。 些細な失礼で、その慢性化している隠された敵意に火がつく。そして慢性化しているから、常に怒っているし、一度怒るとちょっとやそっとのことでは怒りが収まらない。 心理的に健康な人は、なんであんなことであそこまで怒るのかと不思議がる。なんでいつまで怒っているのかと不思議になる。 しかし、それにはそうなるだけの原因がある。 自分でも自分の怒りは不適切だと思う場合には、自分の胸の奥深くで、自分の怒りの心理と行動を調べてみる。 何かで怒るのは自然な感情である。しかしその怒りの大きさは、怒りの原因よりはるかに大きかったということが問題なのである。 なんでもない日常会話のような言葉に対する過剰反応は、その人が想像を絶する蓄積された怒りを持っているという証拠でもある。 相手の態度が、その人の幼児期の屈辱的な数々の感情的記憶をその人によみがえらせたのかもしれない。ただ本人にはその意識はない。ただそのときの相手に向かって怒りを吐き出している。 小さい頃に怒りを表現できていないから、大人になっても消えていない。 小さい頃から怒りを隠しているので、周りの人皆が嫌いになっている。 だから人には何も言いたくない。大人になれば無口で不機嫌になる。 その人の怒りが激しすぎるのは、その人が「私は拒否された」という幼児期の感情をいまだに抱えていることを示しているからかもしれない。