叡王戦の本戦から八冠を目指す藤井聡太。そんな彼のようなリターンマッチに挑戦した棋士たちを紹介!
第9期叡王戦では藤井聡太竜王・名人の全冠制覇が崩れ、伊藤匠叡王が誕生した。第10期叡王戦の本戦は藤井にとって久しぶりに挑戦を目指す戦いとなる。今回は過去の大勝負で敗れた棋士が、リターンマッチを目指した予選を見ていきたい。今回のように全冠が崩れた場合などは、タイトル戦の連続登場記録が絡むことにもなる。 【写真を見る】史上初の七冠を成し遂げた羽生善治 最も有名と言えるのが、羽生善治九段が当時の全冠制覇となる七冠を達成した時だろう。六冠を保持する羽生は、第44期王将戦七番勝負で谷川浩司王将(当時)に挑戦。結果は3勝3敗でフルセットとなり、最終第7局を千日手指し直しの末に谷川が勝ち、王将を死守して七冠はならなかった。これで夢の記録は潰えたかに思えたが、羽生は防衛戦をすべて勝ちながら、翌年の王将リーグを5勝1敗で優勝。再度七冠を目指して王将挑戦となった。このシリーズは4連勝と圧倒し、史上初の七冠を成し遂げた。 羽生の七冠が崩れたのは、翌年度の第67期棋聖戦五番勝負。挑戦者の三浦弘行五段(当時)に2勝3敗で敗れ、タイトルを失った。なお、羽生は以降七冠に復帰することはなかった。復位を目指した第68期棋聖戦では決勝トーナメントの準々決勝で森内俊之八段(当時)に敗れている。 大山康晴十五世名人の持つ大記録の一つが、タイトル戦連続登場記録の50回だ。これはタイトルを失っても次の期には必ず挑戦者になっていたことを意味し、第2位の羽生が23回であるため、いかに飛び抜けていたかが分かる。止まったのは第11期棋聖戦で、決勝トーナメント準決勝で中原誠五段(当時)に敗れた。次代の覇者である中原誠十六世名人との記念すべき初手合で、10年以上にわたってタイトル戦の番勝負に出続けていた記録がストップ。久しぶりにタイトル戦に出られないことになり、当時の大山は残念がっていたそうだ。 百番指しを達成するようなライバル同士は、互いに敗れてもリターンマッチになることも多く、それが対局数を伸ばす要因だ。平成では羽生善治─森内俊之の名人戦は敗れた方が次の順位戦を勝ち抜き、挑戦者になることが多かった。藤井と伊藤も羽生と森内同様に同学年であり、このようなライバル関係が期待される。 叡王戦の本戦は16人によるトーナメント。4連勝すれば挑戦者となる。もちろん負けたら終わりの一発トーナメントであり、藤井の実力を以てしても簡単なことではない。間もなく予選が終了してトーナメントの組み合わせが決まるが、果たして伊藤の初防衛の相手はどうなるだろうか。 文=渡部壮大
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