「私も息子と同じ反自民」自民党に火炎瓶・首相官邸突入で逮捕の男、実父が語る“継母からの虐待”
父親は息子の“生い立ち”についても話した。容疑者の実母とは、彼が2歳のころに離婚した。 「その1年ほど後に、息子より5歳ほど上の女児を連れた女性と再婚しました。それが息子にとっての継母で義姉にあたり、4人で生活をしていました」(父親、以下同)
反原発運動を父子で一緒に行う
だが、息子は継母から暴力を伴う虐待を受けていたと証言する。 「3歳ぐらいから小学校低学年までの間で、母親からは“お父さんに言いつけたら承知しないからね!”と、強く口止めまでされていた。これは、ずいぶん後に息子が20歳をすぎたころになってわかったことで、虐待によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)になっていたんです」 容疑者は私立の中学に進学し、高校は全寮制だった。 「家が嫌だったんでしょうね。歯科医を継ぐことや大学進学もすすめたのですが、強要はしませんでした。高校を出てからは自営でウェブデザイナーをやったり、観光バスの運転手をやったり。25歳には再び家を出て、10年ぐらい長距離トラックの運転手をやって、仕事は転々としていた。行政書士とかの資格を取得していましたが、Uber Eatsの配達員もやっていました」 人とのコミュニケーションが苦手な性格だったという。 「人間不信になったんだと思います。私は息子に手をあげたことは一度もないし、息子も信頼してくれていると思いますが、他人との関係が築けない。友だちもほとんどできず、職場の人ともうまくやれないから、仕事を転々としたんだと思う」 継母とは20年前に協議離婚した。 「私は自分の仕事の忙しさにかまけて、息子と家庭を顧みなかった。そのせいで、息子にはかわいそうなことをしたと猛省しています」 一方で、臼田容疑者は2011年の東日本大震災以降、政治的な活動に没頭していった。反原発運動は父子で一緒にやったが、2012年に容疑者は逮捕されている。 「大阪で開催された東日本大震災の廃材を再利用する説明会で、反対のシュプレヒコールを上げた首謀者ということで、威力業務妨害などで逮捕されました」 このときは執行猶予つき判決だったが、今回は2度目の逮捕となった。 「これで実刑になるはずです。でも、息子は恐れていないと思いますよ。黙秘しているのは息子の信念で、裁判になったら本当のことを必ず話すと信じています」 ここしばらくは無職だったといい、実母からの生前贈与を受けていた。 「私からはビタ一文も与えていませんが、金は持っていました。家では息子は2階で、私は1階に住んでいて、お互い干渉しないで過ごしてきました。でも、それが親として悪かったのかもしれない」 いずれにせよ、今回の犯行は臼田容疑者の政治的信条が引き金になっているという。 「私は継母からの虐待の影響もあったと思っています。息子は49歳で独身の無職。そう考えると、金はあるにせよ、将来への不安、これまで溜め込んできた鬱憤で自暴自棄になったのかもしれない。息子を甘やかしたとは思っていませんが、よくよく考えると、親としての責任を問われてもしょうがないですね」 と、弱々しく自嘲気味に語った父親。臼田容疑者は今後、その動機について何と語るのか――。