世界選手権金の川井梨紗子が号泣した理由
「試合で悔しい思いをしたら試合でないと良くならない」 リオ五輪金メダリストの川井梨紗子(23、ジャパンビバレッジ)は、8月のアジア大会準決勝でまさかのフォール負けを喫した。それ以来の試合である2018年世界選手権決勝進出を決めたあと「もう敗戦のショックは拭えたのか」という川井への質問に対して、こう答えた。 優勝することでしか、その病は治らない――という意味の回答である。 レスリングの世界選手権第(ハンガリー)の女子59キロ級決勝が、このコメントの翌日に行われ、川井が金メダルを獲得した。2連覇。リオ五輪から数えると3年連続の世界一の座についた川井は、勝利が決まった瞬間、大きく息を吐きながら天井を見上げ、すぐに正面を見据えた。 新ルールにより2日間かけて行われた初めての大会を終え、ホッとする気持ちから思わず深い息をしたのだという。そして「できれば体験しないでいたかった」という前提つきだが「アジア大会の負けって、このために考える機会だったのかな」と、考えを巡らせた。 2015年の世界選手権決勝以来、3年ぶりの敗戦となった2か月前の敗戦は、それまでのレスリング人生では体験したことがないほどのダメージを川井に与えていた。 「2015年は、決勝で負けてもリオ五輪に出られることが決まっていたから、来年、金メダルを取れればいいと思っていました。五輪のときは、日本女子レスリングの代表6人の中で、一度も世界一になっていなかった私はプレッシャーも何も感じずにのびのびとできた。でも、今年のアジア大会では、勝って当然だし勝たないといけないと強く感じていました。でも、負けてしまった」 「なぜあんなことをしたんだろう」と後悔する気持ちに、心が支配された。そして、周囲の人たちに向けて、「自分はどうしたらよかったのか」という話を繰り返した。 多くの人が、未来を向く気持ちになるような言葉を探しては投げかけてくれた。 そんななか、練習拠点にしている至学館大学のレスリング場で、先輩でもある吉田沙保里と、その母・幸代さんと話すうち、吹っ切れるタイミングがやってきた。 『世界選手権も、五輪も、いつか来ちゃうものは来るし、終わったことで、落ち込んでも状況は変わらない。落ち込む時間がもったいないだけだから、(レスリングを)やるしかないよ』 2人は、声を揃えて、そんなアドバイスをくれた。 レスリング選手としての吉田沙保里は、五輪3連覇や206連勝、ギネス認定された世界大会連続Vなどの記録を打ち立ててきた。吉田自身や家族から話を聞くと、ひとつひとつの近くにある目標を達成し、それらを積み重ねることで、結果として連勝、連覇と結びつくように心がけていたという。そして、もし敗れることがあっても、それは良くも悪くも、一つの敗戦でしかなく、すぐに気持ちを切り替えて、前を向くのが常だった。 自分が犯した失敗について過度にこだわらず前を向くというのは、何につけ難しいことだ。そのほうが発展的だと頭では理解しても、実際の思考が追いつかない。ところが、五輪金メダリストの川井は、それを先輩の金メダリストとざっくばらんに話すことで「吹っ切れた」という。 川井の「吹っ切れた」というメンタルの変化は、ひたすら自分をレスリング漬けにする行動へと走らせた。 2018年世界選手権の女子代表メンバーのなかで、唯一の五輪金メダリストだという自負もあったのだろう、卒業校である至学館大学の谷岡郁子学長から「ひとりで3個も金メダルを取るような勢いで頑張りすぎ。今回、あなたが取る金メダルは1個でいい」と諭されるほど、張り詰めた雰囲気をみなぎらせていた。