「答えがあるものはどこにでも学べる場がある」東京藝術大学学長・日比野克彦が語る“学校の在り方”にEXILE HIROも納得
TOKYO FMで月曜から木曜の深夜1時に放送の“ラジオの中のBAR”「TOKYO SPEAKEASY」。今回のお客様は、LDH JAPAN代表取締役社長のEXILE HIROさんと常連客の東京藝術大学学長・日比野克彦さん。ここでは、日比野さんが“これからの学校の在り方”について熱く語りました。
◆これからの学校の在り方に求めるもの
日比野:今は(学びたいことがあれば)個人的にYouTubeとかネットで調べて、学べるじゃないですか。じゃあ学校に行って何を対面で得るのか、っていうと“一人ひとりの違い”っていうものを互いに受け入れ合うっていうか、人と接しながら、その存在を確認しあって、“これってこういう形なんだな”っていうのを見つけることは、きっと人と会わないとできないことで。 HIRO:はい。 日比野:だから、それをディレクションする、場作りをしてくれる人が一方的に教えるんじゃなくて、それぞれの面白さが引き立つような場を作れる人が地域にいるといいのかなと。 HIRO:まさにそうですね。“ディレクションして導き出す”という点でいうと(パフォーマー時代は)自分だけが若いメンバーと年齢が離れていたので、愛情がものすごかったといいますか。 メンバーとは一心同体で“彼らがうまくいかないと、自分もうまくいかない”という人間関係でもあったチームだったので、そういう意味では、一人ひとりの個性・キャラクターを導き出すためにディレクションする環境を整える、みたいなことをまさにやってきたなと思いました。 日比野:だから、今は“先生が答えを持っているから、生徒はその答えを取りに行く”っていう教育じゃないというか。今は、答えがあるものはどこにでも学べる場があるので、“答えのないものを学べる”“共有、体感ができる場”として学校がないと、きっと意味がなくなっちゃうんじゃないかなって。 HIRO:いまの言葉、めちゃくちゃ勉強になったので……パクらせてもらってもいいですか(笑)? 日比野:(笑)。 HIRO:でも本当にそうだと思います。 日比野:アートとかダンスって答えがないですし、学問よりも、もっと一人ひとりの個性があるじゃないですか。例えば、お手本の先生がいて、その先生の通りに踊れる子が面白いかっていうとそうではないというか。 あとは1人で踊るよりも、3人で踊ったほうがそれぞれ魅力的に見えるよね、っていうのもダンスだし、美術でもアートでも、そういうところがあるので、そこは今の教育に足りないところなのかなぁと思います。 HIRO:自分が勉強してこなかったので、あまり偉そうなことは言えないですが、そういう学校があったら“人生が変わるんだろうな”とは思いますね。 (TOKYO FM「TOKYO SPEAKEASY」放送より)