「僕のなかで名将、知将と呼べるのは広岡達朗しかいない」常勝西武のチームリーダー石毛宏典が語る広岡野球の真髄
現役時には読売ジャイアンツで活躍、監督としてはヤクルトスワローズ、西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた広岡達朗。彼の80年にも及ぶ球歴をつぶさに追い、同じ時代を生きた選手たちの証言や本人談をまとめた総ページ数400の大作『92歳、広岡達朗の正体』が発売直後から注目を集めている。 巨人では“野球の神様”と呼ばれた川上哲治と衝突し、巨人を追われた。監督時代は選手を厳しく律する姿勢から“嫌われ者”と揶揄されたこともあった。大木のように何者にも屈しない一本気の性格は、どこで、どのように形成されたのか。今なお彼を突き動かすものは何か。そして何より、我々野球ファンを惹きつける源泉は何か……。その球歴をつぶさに追い、今こそ広岡達朗という男の正体に迫る。 (以下、『92歳、広岡達朗の正体』より一部編集の上抜粋) ~西武ライオンズ編 石毛宏典 後編~
阪神との日本シリーズでの大怪我
1985年の阪神タイガースとの日本シリーズ。18年ぶりのリーグ優勝で日本全土に阪神フィーバーを巻き起こした阪神タイガースが敵地西武球場で連勝した。勝ち星が二つ先行して堂々甲子園球場に帰ってきたこともあって、どんよりした空模様を吹き飛ばすほど超満員の観客のボルテージは上がりまくりだ。 西武先発工藤公康、阪神先発中田良弘で始まった第三戦、二回表に西武が石毛の2ランが飛び出し四点先取。三回裏にバースの3ランという空中戦で、六回表が終わって五対三で二点西武のリードのまま、六回裏に入る。 先頭打者の掛布雅之が左中間に打った大きな当たりはラッキーゾーンのフェンスに当たる2ベース。ここでピッチャーを永射保から東尾修にスイッチし、次打者の岡田彰布を簡単にレフトフライで1アウトランナー二塁。バッター六番佐野仙好が1ストライクからの二球目インコース寄りのストレートを強振し、レフト線寄りに高々とフライが上がった。ショートの石毛が背走して追い、レフトの金森永時も猛突して追いかけている。 初めから目線を切らずに追いかけている石毛が、左側からスライディングキャッチを試みた金森をジャンプ一番でかわしてバックハンドで好捕。金森の足と交錯し、そのまま回転レシーブのように転がって起き上がりざまにセカンドに返球。その後、石毛は背中からもんどり打ってうずくまった。 タイムがかけられ、観客も石毛に何かアクシデントがあったと気づき、レフト側の西武ファンの観客は心配そうに総立ちで見ている。秋山、辻、岡村、金森、三塁側ブルペンにいたピッチャー、キャッチャーらが、チームトレーナーと倒れている石毛の周りを囲んでいる。テーピングとサポーターで応急処置をして、なんとか立ち上がった。一度軽く屈伸して走ろうとし膝がガクンとなってよろけるも守備位置に付いて試合再開となった。 後続がすぐセカンドフライに倒れてチェンジ。石毛はアドレナリンが出ていたせいか最後までプレーを続ける。試合後、病院に行くと、右膝外側側副じん帯損傷の診断が下る。 翌日、選手ロッカー室でコーチの近藤昭仁とトレーナーが石毛の足の具合を見ていた。トレーナーが触診していると、右膝の外側側副じん帯部分がプラプラと横に揺れる。この状態を目にした石毛はすぐ口走った。 「昭さん、これ駄目でしょう」 「だな。いいよ、監督に言ってくるわ」 コーチの近藤昭仁が小走りでベンチに戻り、広岡監督の耳元で囁く。 「石毛、駄目ですわ」 「何? そんなに酷いのか?」 広岡は即座に反応し、急いで選手ロッカー室までやって来た。 ドアを開け、右足を伸ばしてトレーナーに処置されている石毛のもとまでカチャカチャとスパイクの音を立てて近づくなり、 「おい、出れるのか出れんのかどっちなんだお前」 焦っているのか、少し怒り気味で言う。石毛は、あれ昭さんから連絡いってないのかなと思い、返答に窮していると、 「どうすんだ、出れるのか?」 広岡が一喝する。思わず石毛は条件反射のように答える。 「出れます」 「トレーナー、テーピングでガチガチに撒いとけ。ボルタレン(痛み止め)も飲ませとけ。心配するな。後どんだけやっても2試合か3試合だ。その後は休むだけ休ませてやる」 それだけ言うと、広岡はさっさとベンチに戻っていった。 膝が壊れかけ寸前でてっきり交代かと思っていたところ、プレー続行。強制的に言われたような感じだろうけれども、自分でやると言った以上は、やるしかない。このまま第三戦を含めて第六戦まで出場し、第六戦にはシリーズ三本目のホームランを打つなど敢闘賞に選ばれた。幸い、断裂じゃなかったためシーズンオフにきちんと治療し、膝関節周りの筋力を鍛えて翌シーズンには間に合った。