【スポーツとファッション】ポロシャツは“誰”のもの? VOL.3
近年、スポーツ界におけるファッションの進化、ファッション業界においては、スポーツへの影響など、スポーツとファッションには本質的な違いを持ちながらも、お互いに密接な関係を持っている。この連載では、カルチャーに焦点をあて、スポーツとファッションの関係についての歴史を深堀する。
長袖を食いちぎったワニ
その昔、テニスのユニフォームは〈長袖〉と決まっていた。現在でも、ウィンブルドンでは白を基調にしたユニフォーム以外認められていないという例でもわかるように、当時のテニスにはより厳格な規定があった。この慣習に革命をもたらしたのが、何度もグランドスラムを勝ち取ったテニスプレイヤー、ルネ・ラコステ(René Lacoste)である。 ラコステ(Lacoste)は、長袖シャツの袖を切り落とし、自身の愛称であったワニの刺繍を施すことで、現在世界中で認識されるポロシャツの原型を、1933年ブランドとともに生み出した。このラコステが発明した形状のポロシャツが、その後のテニスのユニフォームとして定着したのだ。さらには、ルネ・ラコステの妻シモーヌ・ラコステ(Shimone Lacoste)と娘のカトリーヌ(Catherine Lacoste)は、ゴルフのチャンピオンだったことの影響もあり、このブランドはゴルフ界においても不動の地位を築くこととなった。
太陽がいっぱい
日本においてラコステのポロシャツがファッションとして幅広く認知されたのは、80年代中期のフレンチ・アイビーやフレンチ・トラッドと呼ばれたブームにおいてだろう。第二次世界大戦以降、政治経済をリードしたアメリカは、文化の面でも大きな影響力を世界中に及ぼすことになったのだが、それはGHQに占領された日本だけに限らず、フランスにおいても同様だった(上述したロッカーズはアメリカをルーツとしたスタイル)。あのパリで、アメリカ然としたアイテム(デニム、ボタンダウンシャツなど)が流行したのだ。60年に公開された『太陽がいっぱい』でのアロン・ドロン(Alain Delon)のスタイルが、フランスでのアイビースタイルの象徴として崇められた。 アイビースタイルとは、アメリカのアイビーリーグに通う大学生のファッションを真似たもので、日本では当初〈みゆき族〉と呼ばれた。70年代になるとマガジンハウスが発行する雑誌『POPEYE(ポパイ)』が提案したアメリカンスタイル(シティボーイ)へと形を変えながらも〈アメリカ経由〉は受け継がれ、日本のメンズファッションの基盤となった。 しかし、80年代初頭、アメリカンスタイルとは対極をなす、デザイナーズブランドが提案したスタイル――特に知られるのは、全身にコム・デ・ギャルソン(COMME des GARCONS)を身につけた〈カラス族〉――が日本中を席捲した。いわゆるDCブームだ。 この〈アメカジ〉の低迷を打破したのが、やはり『POPEYE』であり、フレンチ・アイビー特集であった。ここで、セントジェームスのカットソーなどとともに、紹介されたラコステのポロシャツは、たちまち〈ファッション〉として認知された。 このトレンド以降、ラコステのポロシャツはカジュアルシーンの大定番アイテムとして、多くの人々に愛されている。昨今でも〈フレラコ(フレンチ・ラコステの略)〉と呼ばれるフランス製のヴィンテージのポロシャツが、ヨーロッパものの古着に着目が集まるとともに人気を博している。