〈台風19号〉「車が川に落ちる音も聞こえなかった」 東京都多摩地域、神奈川県相模原市の被災現場を歩く
大きな流木が跳ね上がった(相模原市緑区)
車が転落した中村橋のある場所から、南西に2キロ弱の串川の上流。串川と県道513号に挟まれた場所に建つ家に住む女性が、自宅の後片付けをしていた。県道脇には、串川に流れ込む沢があるが、そのほとんどが土砂で埋まってしまっているため、流れる水は行き場を失って道路にあふれていた。 「あの日は避難しようと思ったんですが、『避難所がいっぱいだ』と聞いてあきらめました。夜、自宅からふと外を見たんです。沢が県道に面したところには、フェンスがあったのですが、そこに大きな流木がぶつかって跳ね上がり、こちらのほうにとんでくるのが見えました。その後、県道をたくさんの流木が覆ってしまって、道路を流れる水がせきとめられ、次第に水かさが上がって肝を冷やしました」 しばらくして、流木が水の勢いで流されたため、水かさは下がった。翌日になって、沢を見てみると、1.5メートルほどの深さがあった沢は土砂で埋まっていた。沢の水は、地面がえぐれて小さな穴になっている場所にいったん溜まってから、道路に流れ出ていた。 「台風の後、断水が続いているので、うちや近所の人はこの水を汲んで、トイレ用などに使っています。うちより少し下流の家は、床上まで浸水しています。何より、長野や福島など、とんでもない被害が出ているところがある中で、うちの被害なんて大したことはありません」 女性はそう話したが、その表情には若干の疲れが見えた気がした。
うまくいった「共助」(東京都あきる野市)
多摩川の支流、秋川が流れる東京都あきる野市。キャンプ場や東京サマーランドのゴルフ練習場がある山田大橋のふもとの地区では、秋川左岸の堤防道路がごっそり削り取られていた。堤防道路の先には、13世帯の家が建つ地区があるが、道がなくなった今、そこに行くためには、野球用グラウンドを横切るしかない。 台風上陸から5日が経った16日、この地区では、住民だけでなく近所の人たちが一緒になって後片付けをしていた。家々には人の背の高さほどの泥水の痕が生々しく残っている。足取りが重い、疲れた表情の高齢女性もいる。当時、押し寄せたであろうすさまじい水の勢いで浮かび上がり、回転してしまったプレハブ倉庫での作業に黙々と取り組んでいる人もいる。川沿いの家では、自動車が川に落ちかかっている。 ただ、水が襲来した当時、この地区の人は全員避難していて無事だった。この地区を含む地域の防災リーダーを務める関田利治さん(66)は、当時のことを振り返る。 「ここは13世帯のうち6世帯が75歳以上の高齢者。だから、前日の金曜日から民生委員さんが『明日台風だよ』と声掛けをし、土曜日の午前中には避難所に退避しました。中には、最後まで『家に残るんだ』と夫婦もいましたが、自治会長さんが電話で説得することで納得してもらいました」 そして、災害発生後は、近所の被害を受けていない住民がボランティアとしてこの地区を助けた。まず作業がしやすいように道路と道路わきのU字溝に溜まっていた泥などを清掃。臨時の災害廃棄物の置き場を設けたり、近所の会社の駐車場をボランティアに来る近所の人用に借りるなど、「共助」しやすい態勢を築いた。 関田さんは「大変な被害だったが、事前に連絡の仕組みを構築していたことや、その後、みんなで協力し合うことができたのはとてもよかった。市内のほかの地域にも、良かった例として共有していきたい」としながらも、「ただ、今回は13世帯という限られた地区だったから、共助がうまくいったという面もある。もっと大規模な事態に備えて、改善しなければいけないところはどこなのか。こうしたことをさらに考えていきたい」とこの先を見据えていた。