右手でポップス、左手でクラシックを即興演奏 ピアニスターHIROSHIとは?
右手と左手で別の曲を同時即興演奏できる得意技を持つピアニストがいるという。ピアニスターHIROSHI。90年代半ばから全国的に展開しているエンターテイメント性の強いコンサートは、老若男女を問わず幅広い層のファンを集客しているらしい。驚きの離れ業を見せながらも、オーソドックスな実力も本物なのだとか。 「右手でポップス、左手でクラシック」など度肝を抜く演奏は、どうやって編み出されたのか?
近所の家に上がりこんでピアノを弾いているうちに
「子どもの頃から家で勝手にそうやって遊んでたんですよ。ほんと天然だと思います」 楽しそうに笑うHIROSHIは、昭和36(1961)年生まれなのだとか。 「私の世代は、まず住宅地にはインターフォンがなく、ほとんどが垣根のあるおうち。中でも女の子がいるおうちにはステータスのためアップライトピアノが置かれ、親の意向でピアノ教室に行かされた。で、歩いているとき練習している音が聞こえてきまして。そこで私は、その音色にすごく心をひかれて、そのおうちに上がり込んで『ちょっと、いじらせて』って、勝手に弾いていたらしいんです」 近所の家に何時間も上がりこみ、ピアノを弾いてしまう。さすがに親も、「これではご近所に申し訳ない」と、まだ男の子がピアノを持つケースは少なかった時代、ピアノを習わせてくれたという。 「小学校でも、音楽の時間、歌の伴奏は私がしていました。ピアノ教室でも、他の子の進度は遅いなと感じました。私は1曲宿題が出ると、10曲くらいやっちゃったんです。宿題では物足りなくて、初歩の教材が半年ぐらいで終わっちゃったんですね。それで、小学校の卒業文集を見ると、将来“ピアニストになりたい”って書いてあります」
中学の後輩には尾崎豊 音楽やファッションにハマった学生時代
中学生になると、音楽の他にファッションにも大きな興味を持ったそうだ。 「レッド・ツェッペリンやディープ・パープル、ジェネシス、あとはカルメン・マキとオズ、デビッド・ボウイにもハマりましたが、その頃、ミュージシャンたちがベルボトムのジーンズや高いヒールの靴を履いていてあこがれました。制服が紺のブレザーだったので、冬なんかは教師の目を盗んで、かなり派手なベストを着て行ったりしてました。一応、成績は良かったので、先生もうるさいことは言えなかったんだと思います」 そしてその中学の4年後輩には、尾崎豊がいたという。 「卒業してから、中学の先生が『お前より手に負えないのがいるよ』って言うんで、誰だろう?と思っていたんですよね。それが尾崎豊さんだったんですよ。『成績は良いんだが、素行が悪いんだよな』って」 HIROSHIも在学中は、精神的に突っ張っていたのだとか。 「成績は良かったのですが、優等生グループが苦手で。勉強の話ばかりしているので。私は楽しく暮らすのが好きだったので、仲が良いのは少し道を外れた人ばかりでした。『どうやったら大人が眉をひそめるような悪い子になって、困らせてやろうかな』ってところが、中学のころは特にありましたね。ですので、中3のときの通信簿には担任から『あまり背伸びがし過ぎると、ときに見苦しいこともある』と書かれていました」 高校ではバンド活動などでますます音楽にハマり、学業のほうは身が入らず成績は低空飛行となるも、なんとか卒業すると芸大(東京芸術大学)の音楽学部へ進学。2年生のとき、音楽専門出版社のリットーミュージックで楽譜の校正のアルバイトを始めた。やがてライターに移行、大学3年の頃には「キーボード・マガジン」などに50ページぐらいの連載を持っていたという。 「書くのが忙しくて大学に行けないんですよ。メールもファックスもない時代、四ツ谷の出版社に夜11時ごろ行って、編集長と徹夜で手書きの原稿を書いて、朝一番の電車で帰る、みたいな暮らしを始めちゃった。おかげで芸大は、6年かかって卒業しました」