【実録 竜戦士たちの10・8】(16)「君は巨人にとって大事な戦力」長嶋監督の熱い訴えに、軟化した槙原の態度
◇長期連載【第1章 FA元年、激動のオフ】 1993年11月10日の昼過ぎ。世田谷区の成城郵便局に姿を見せたのは槙原寛己本人ではなく恵美子夫人だった。用意したFA書類を書留郵便で郵送した。 こうなると、もう後戻りはできない。自宅前で報道陣に対応した槙原は覚悟を決めたように「12球団すべて話は聞きます。巨人への残留を交渉期間中に決めることはありません」と巨人を含めた全球団への”門戸開放”を口にした。 こんな槙原の動きを、遠く秋季キャンプ地の宮崎で心配そうに見守っていたのが、現場のトップである長嶋茂雄監督だ。 チーム勝ち頭の槙原の流出を黙って見過ごすわけにはいかない。報道陣から「直接、槙原と話す用意は?」と振られると「もちろん、もちろんです。(東京まで)1時間ちょっとで行けますから。そりゃ、もう当然ですよ」と答えたが、この言葉にウソはない。 この2日後の12日、長嶋の姿は東京都内のホテルにあった。この日の朝、緊急帰京し「君は巨人にとって大事な戦力であり、当然、戦力構想にも入っている。来季は重要な年だから、条件面で折り合わないならバックアップもしてあげる」と、ひざを突き合わせ、熱く訴えかけたのだ。 これには「ここでグラつくなら宣言した意味がない」と言う槙原だが、これまでの強硬姿勢からかなり軟化しているのは、その表情からも明らかだった。 「監督の考えは聞いたので、あとは代表との話になるでしょう」という口ぶりにも、これまでのような刺々(とげとげ)しさは消えていた。 そしてこの日、韓国では「日韓親善野球」の歓迎レセプションがソウル市内で開かれていた。 この会には中日の加藤巳一郎オーナー(中日新聞社会長)も出席。8日にFA宣言した落合博満と、どんな会話をするかが注目されたが「(FAは)個人が決めたこと」と加藤。意識的に距離を置くように、別のテーブルで関係者と歓談した。 それでも会が中盤に差しかかった頃、加藤から落合に近づき「オイッ!」と笑顔で背中をたたくと、落合は苦笑いで頭をペコリ。これがこの日、唯一の両者の接触だった。 そんな韓国から日本に向け、ビッグなニュースが発信されたのは翌13日のことだ。この日のソウルは朝から雨。日韓親善野球の第2戦の中止が早々に決まると、ソウル市内のホテルに会見場が設けられた。 =敬称略
中日スポーツ