朝日新聞の捏造? 「撃ち方やめ」報道から見える、政治家と記者の微妙な関係
これらに限らず、日本の政治報道は多くの問題点があります。録音が禁じられたオフレコ取材では、取材後に各社の記者同士で発言内容を確認し合う「メモ合わせ」も習慣化しています。内容やニュアンスがそこで統一されたり、整えられたりする可能性があり、媒体は違っても同じようなニュースがあふれる要因の一つになってきました。 また要人と記者の間が緊密になればなるほど、「君だけに教える」として「独自情報」を入手する機会も増えます。しかし、要人が自らに都合の良い発言を行う可能性は常にありますから、緊密度が増せば、要人にとって「○○記者は便利な存在」になりかねません。 こうした問題の根っこには、発言者をあいまいにしたまま、確定的事実として伝えることを許容してきた、政治と報道の体質があります。そして、その根底に「安易なオフレコ取材が多い」という実状です。国民からすれば取材過程がブラックボックスになっているわけですが、そうかと言って、取材機会が公式のものだけになると、報道は「発表」だらけになり、メディアは単なる「広報・宣伝」機関になりかねません。では、情報の受け手はどうすればいいのでしょうか。とりあえず、現状では「取材源や取材過程がどの程度明示されているか」に着目するのがベターかもしれません。