中山優馬が情熱の男レオナルドに。役への第一歩は「恋をすること」
スペイン・アンダルシアを舞台にした、フェデリコ・ガルシーア・ロルカによる傑作悲劇『血の婚礼』。そこで花嫁のかつての恋人・レオナルドを演じるのが、舞台俳優としての評価を年々高める中山優馬だ。演出を担うのは、中山とは3度目のタッグとなる栗山民也。栗山という巨匠の手によって、この名作がどう現代に立ち上がるのか。中山に今の想いを訊く。 【全ての写真】中山優馬の撮り下ろしカット ――スペインを代表する劇作家フェデリコ・ガルシーア・ロルカの代表作です。台本を読まれて、どんな印象を持たれましたか? わかりやすく事件が起こっていくので、すごくシンプルなお話ではあると思います。ただ台本を読むだけではわからない、感情や情熱が渦巻いていて。そこは書き手側の引き算の美学というか、演者に任せられている部分が多い作品なのかなと思いました。 ――今回演じられるレオナルドに関して、現段階ではどんな人物として捉えていますか? すごく人間らしいと思います。葛藤のもとに人生を過ごしてきて、守るべきことと許されざることを理解しながらも、ああいった結末を迎えるわけですから。ただちょっと憧れるというか、あんなふうに生きられたら楽しいのかもしれない、とも思いますよね。人生で一度くらい、理性を脱ぎ捨てて、行動を起こす瞬間があってもいいんじゃないかなって。強さと弱さ、その両方を持った人物ではないかなと思います。 ――そういった人物を立ち上げていくに当たって、最初の足掛かりになりそうなこととは? どうなんでしょう。恋をするってことじゃないですか(笑)。僕がレオナルドのことを理解して、好きになって、かつての恋人である花嫁を愛してってことが、役への一歩になるんじゃないかなと。とにかく小細工がまるで通用しない作品だと思うんですよ。だからこの台詞はこんなふうに言おうとか、こういうキャラクターにしてやろうとか、もう微塵も思っていなくて。ただただレオナルドを生きる、それが唯一のアプローチなのかなと思います。 ――レオナルドは妻子のある身ながら、婚礼の当日に花嫁を連れ去ります。彼がその“許されざる”行動に出たのはなぜだと思いますか? 僕が今を生きるリアルの世界よりも、圧倒的に情報や物が少ないってことはあると思います。食べ物にしても、娯楽にしても。例えば僕の感情が100あるとしたら、現代ではその100の中から少しずついろいろなものに割り振っていくと思うんです。でも割り振るもの自体が少ないわけで、そうなるとひとつの喜びにしてもまったく感じ方が違う。しかもその村の文化、風習を裏切るってことが、絶対に許されない時代ですから。「血がそうさせる」とか「あいつらの血が」といった台詞がよく出てきますが、拠り所がその“血”にしかないんでしょうね。生まれもっての業、みたいなものにずっと囚われているんだろうなって。もちろん花嫁を連れ去るなんて絶対にやっちゃいけないことだってわかっているし、そんなことをする気もなかったと思うんです。でもそうしてしまったレオナルドの生き方を、僕が正当化したいなと思っています。 ――閉ざされた村社会の中で、レオナルドにとっての花嫁の存在は、どれほどの割合を占めていると思いますか? 100に近いんじゃないでしょうか。でもそれがなぜか、論理的には解明出来ないんだと思います。悲劇を被った側も、「呪われた血なんだ」ってことでしか説明が出来ない。それを愛と呼んでいいのか、すごく美しいものと見たらいいのか、それとも下劣なものと捉えていいのか。それさえも判断がつかない。その情熱というか、心の在り方を、自分がどう表現したらいいか……。でもそんなことを思っている時点できっと追いつかないと思うので、やはりただレオナルドを生きるってことでしかないのかなと思います。 ――栗山さんが演出する作品に出演されるのは3度目となります。栗山さんとのもの作りの面白さ、魅力とは? 栗山さんの中にはすでに出来上がっているものがあって、少しずつ役者にヒントを与えつつ、役者の中から出てくるものを待っているんですよね。だからすべて見抜かれているというか、そういった厳しさを持った人だなと。舞台上もシンプルな構造が多いので、ものすごく自力が試される。そこから戦いが始まっている感じが怖くもあり、楽しみであり。そんなとても信頼している栗山さんが、『血の婚礼』のレオナルド役で僕の名前を挙げてくれた。これほど光栄なことはないと思います。 取材・文:野上瑠美子 撮影:石阪大輔 ヘアメイク:二宮紀代子 スタイリスト:柴田拡美(Creative GUILD) <東京公演> 『血の婚礼』 公演期間:2024年12月7日(土)~12月18日(水) 会場:IMM THEATER