「君次第で仮面ライダーの歴史が終わる…」素人だった菅田将暉を覚醒させた「仮面ライダー学校」の重圧
● 今の〈菅田将暉〉があるのは 仮面ライダーの経験あってこそ しかし1年間主役を務め、辛い日々を送ったことでいろいろな知識が一気に習得できたのも確かなようです。演劇学校を出るくらいの経験値は積めたのではないでしょうか。渋谷公会堂で行われた「仮面ライダーファンの集い」ではMCや、即興劇も、トークショーも難なくこなしていました。仮面ライダーはテレビだけでなく、映画も年に3本も撮影しました。 すべてのことを「仮面ライダー学校」で教わり、俳優として必要な知識や経験がいっぺんに身についたようです。過酷で厳しい現場だったことは間違いありませんが、今の菅田将暉があるのは、この経験があってこそでしょう。 息子の仕事に対する評価は、親としては当然いつも気になっています。 16歳で仮面ライダーデビューをして間もなくの頃は、マネージャーの荻野さんからよくメールをもらいました。 「菅田君は、ほんの少しの時間でインタビューを受けた記者のこともよく覚えていて、誰に対しても挨拶とお礼を欠かさないので、現場でとても評判が良いです」 そういう内容のメールが送られてくるたび「このまま感謝の気持ちを忘れずに頑張って欲しいな」と、妻とも話したものでした。 その後荻野マネージャーの頑張りと努力が実って映画「王様とボク」の主役を射止めました。彼はもう芸能界にはいませんが、彼のおかげで大将は俳優人生で最高のスタートを切ることができました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 仮面ライダー卒業後は、売り出し方も進化した気がします。 ● 父が見た息子の役作りの努力 カメレオン俳優と呼ばれる所以 映画「共喰い」の主演を果たし、2013年度の日本アカデミー賞新人賞を受賞しました。この作品は、芥川賞作品の映画化で、出演作としては初のR指定でした。息子の自慰やセックスシーンもあり、夫婦で目をふさぎながら観ました。 この作品の現場で、菅田将暉を厳しく育ててくれた青山真治監督も恩人の1人です。彼の講演会があると聞き、私1人で出かけたことがあります。