意外と知らない「ハチ公秘話」と渋谷駅の歴史
渋谷といえばハチ公
渋谷駅はわかりにくい、とよく言われる。JRだけ取り出せば、山手線と埼京線・湘南新宿ラインしか通っていないのだから、大崎や恵比寿駅と同じだ。しかしそれに東急東横線(東京メトロ副都心線)と田園都市線(同半蔵門線)が加わり、さらに東京メトロ銀座線、京王井の頭線が上乗せされるに及んで“混沌の巷”と化す。各線が横並びでなく、地下5階から地上3階まで重層的に配され、ずれて交差するような線形になっているからだろう。しかも目下、「百年に一度」という駅周辺の大改造工事が進行中なので、混沌の度合いが、いや増す。 心がとろける「東洋の美」てんこ盛りの殿堂が大阪中之島に改装オープン! 渋谷駅のものがたりを、誰にも馴染ぶかいハチ公の逸話から始めよう。外回り電車の前寄り、原宿方の階段を下りればハチ公口の改札で、出た左手、広場の片隅に銅像が控える。 秋田犬のオス、ハチは1923(大正12)年11月に現在の秋田県大館市内で生まれた。生後ほどなく、東京帝国大学教授だった上野英三郎にもらわれ、渋谷駅留めの貨物として上京。やがて飼い主の送り迎えで渋谷駅に現れるようになるが、教授は1925(大正14)年5月に職場で急逝してしまう。しかし何も知らぬハチは、教授宅に出入りしていた植木職人にそののち預けられるも、毎日のように駅の改札口前で旧主の帰りをじっと待ちつづけたのだという。 1932(昭和7)年10月、東京朝日新聞に「いとしや老犬、主人を待って七年」の記事が載り、ハチは全国区の人気犬となった。すでに老境に達していたハチが生きているあいだに銅像を建立して、当時の世相を反映した「忠犬」の姿を渋谷駅頭にとどめようと寄付が募られ、1934(昭和9)年4月21日に像の除幕を迎えたのである。式典には当のハチ自身も参加したが、翌年3月、駅近くの路地で死に絶えているのが発見された――。 鉄道紀行作家の故・宮脇俊三は、幼少期の自分史を綴った『昭和八年 澁谷驛』(1995年、PHP研究所)のなかで、駅改札口の北側に接した小荷物扱い窓口の描写につづいて、実際に見た晩年のハチの様子をこう記している。 「昭和八年、その小荷物窓口の厚い一枚板の下に、一匹の老犬が生気なく横臥していた。白い大柄な秋田犬である。肩や腰の肉は落ちて腹部の皮はたるみ、眼は物憂げに閉じたままで、厚板の上に放り出された荷物の音にも何の反応も示さない。喧噪な渋谷駅前では、この一隅だけが老犬の存在ゆえに静かに倦(う)んでいた。」 銅像は戦時中の金属回収で供出され、いま台座に座っているのは1948(昭和23)年に再建された2代目。背後のスクランブル交差点とともに、訪日観光客の人気スポットである。