走り続ける脚本家・倉本聰82歳 ── 徹底した体験主義者が見つめるもの
脚本家である倉本聰は徹底した体験主義者だ。実際に体験できるものは可能な限り体験しようとするし、できないものもはできるだけ現場に行って自分の目で確かめようとする。震災後の福島を舞台にした芝居「ノクターン」を書くために倉本は何度も何度も現地に足を運んだ。実際に現場を見ることによって“実感”を得ることができ、その実感を基にディテール書くことができる。ディテールのリアリティが見ている人を打つ、と倉本は考える。
富良野塾「原始の日」に込められた意味
そんな倉本が始めた富良野塾では、脚本家や役者を目指す若者たちにバーチャル情報が氾濫する中、様々な実体験をして、その体験を基に書き、演じることを求めた。 富良野塾に入ってくる若者たちは4月の初旬の入塾の日に「原始の日」を体験させられる。この「原始の日」は、塾内の電気、ガス、水道、電話など、文明の利器と呼べるものは全て使用禁止となる。一連の入塾式が終わった後、その晩の食事作りが始まる。入塾生には一人一羽づつ生きたニワトリが与えられる。バタバタ暴れる鶏の足を必至で掴む女の入塾生はみんな蒼ざめている。泣きだす者もいる。 彼らは自分の手の中にいる生きた鶏の命を奪いそれを食べるのだ。倉本は語りかける。「残酷だと思うな。君たちは今までも鶏を食べてきたはずだ。その鶏は誰かが絞めていたんだ。そういう現実の作業を誰かがやってくれていることに目をつぶり、食べるだけ食べて、それを残酷だなどと言うな。たまには自ら手を汚し、命を頂戴した鶏に感謝しながらありがたくいただきなさい。人は動物や植物の命をもらって生きているのだということに思いを馳せなさい」
この日から2年間の塾生活が始まる。 倉本は“実体験”が減っている今の世の中の流れを危惧する。一つの例は霞ヶ関のお役人。例えば農水省の役人で農業や漁業を体験した人は何人いるだろうか? 皆無に近いと思う。昭和のある時期までは、田舎に生まれた子どもたちは家の農業の手伝いをさせられた。子どもたちは手伝いをしながら、作物を植え付け、育て、収穫するとはどういう仕事なのか、農業というのはどういう仕事なのかを実感として感じ取った。 時代が変わった。家の手伝いをしなくても済むようになった今では農家の子どもたちも学校が終わると塾やお稽古ごとに通ったりしている。ましてや一流大学を出て公務員の国家試験を目指す子どもたちなど、農作業の手伝いなどをしている暇はない。だから、農業や漁業を全く知らない人が農水省に入り、農業政策、漁業政策を作り実施する。彼らが頼りにするのは数字、データだ。数字やデータだけで農業のこと、農地のこと、農業者の気持ちなどが分かるだろうか? 数字やデータを分析するだけで血の通った農業政策ができるだろうか?