走り続ける脚本家・倉本聰82歳 ── 徹底した体験主義者が見つめるもの
倉本は東北大震災の後、こんなエッセイを書いた。「復興庁はなぜ被災地に設けられなかったのか。窓を開ければ都会のネオンという位置に設営されるのと、窓の外に未だ瓦礫の山が拡がる場所で仕事をするのでは、仕事をする者の感覚と覚悟が違ってくるはずである。 「このITの時代にあって、霞が関と東北各都市との連絡時間は全く変わらないはずである。それを首都だからと東京に置くのは、復興庁というものの任務の重みを政府が如何ほどの覚悟で捉えているのか、底が知れるという気がしてならない」 復興庁は東北の被災者により添うことを目指しているはずだが東京のビルの立ち並ぶ霞が関にいて被災者により添えるだろうか?現地に近づこうとしない限り真の理解はできないと倉本は訴える。
子どもたちの“自然体験”のなさ
もう一つ。自然塾をやってから“体験”についてと思うことがある。 今の子どもたちの“自然体験”のなさである。 子どもたちが森や原っぱや海や川で遊ばなくなった。以前子どもたちが行っていた林間学校や臨海学校も最近ではほとんどなくなってしまったそうだ。親も先生も自然体験のない世代が増え、自然体験の意義や楽しさを知らなくなったせいもある。 中には子供たちを海や山に連れて行きたいという奇特な先生もいるが、何か事故があったら学校は責任を取れるのかと親たちから詰め寄られ連れて行くことを止めてしまったという話も聞いた。日本中の学校と親が寄ってたかってひ弱な子供を育てようとしている。子どもの多少の傷の痛さなどと比較にならないほどの貴重な体験や記憶という財産を手に入れられるのに……。 どうも文明が進めば進むほど人の実体験は減り、人はだんだんひ弱になっていくものらしい。倉本も私もこれでいいんだろうかという強い危惧を抱いている。