高橋ヨシキは映画『マッドマックス:フュリオサ』をこう見た!
日本有数の映画ガイド・高橋ヨシキが新作映画をレビューする『高橋ヨシキのニュー・シネマ・インフェルノ』! 2016年に映画ファンを驚愕させた伝説の作品『マッドマックス:怒りのデスロード』の前日譚が全国公開中! 今回は拡大版で本作の魅力を深く解説します! * * * 〈映画〉が〈神話〉そのものと化すとき――火と鋼の黙示録『マッドマックス:フュリオサ』 『マッドマックス:フュリオサ』は鋼と火の神話である。 【写真】『マッドマックス:フュリオサ』荒野を激走する巨大ダンプカー! これは比喩的な意味でそう言っているのではない。核戦争後の砂漠化した地上を舞台に、乏しい資源を巡って「神話的な」大君主たちが血で血を洗う戦いを繰り広げる本作は文字通りの「エピック」すなわち叙事詩であり、同時に機械文明時代の黙示録でもある。 古代ギリシャ時代の四元素説にならえば、『フュリオサ』世界の四元素はガソリン、水、弾薬そして火だといえるかもしれない。そして「火」以外の元素については、それぞれを司るグロテスクな大君主がいて、その危ういパワーバランスの上に暗黒世界の調和が保たれている。 クリス・ヘムズワース演じるディメンタスは一大軍勢を引き連れた野心的なウォーロードだ。権力と資源を追い求めるディメンタスの文字通り狂気じみた行動は(〈ディメンタス〉とは「発狂した」という意味だ)大君主たちがかろうじて保ってきた均衡に亀裂をもたらすものである。 主人公フュリオサは、幼いときにディメンタス配下のバイカーたちにさらわれ、異常で苛烈な環境下で育つことを余儀なくされる。彼女がもともといた場所は〈ヴヴァリーニ〉、あるいは〈メニー・マザーズ(多くの母)〉という名で知られる母系の部族が隠れ住んでいた、緑あふれる秘密の谷底だった(「ヴヴァリーニ」は女性の外陰部を意味する)。 みずみずしい植生が残る「楽園」から引き離されて砂漠の放浪生活へと放り込まれたフュリオサは、生き別れた母親と交わした約束を決して忘れない。「必ず、故郷へ戻る道を見つけ出す」と。 こうしてフュリオサの〈オデッセイ〉が始まる。〈オデッセイ〉とは波乱に満ちた神話的な旅路を指す言葉で、古代ギリシャの長編叙事詩『オデュッセイア』に由来する。 『マッドマックス』シリーズは1979年の1作目から、回を追うごとに神話的な色彩を強めてきた経緯があるが、15年間にわたるフュリオサの旅路を描く本作はまさに〈オデッセイ〉そのものであり、「神話としての側面を持つ物語」を超えて、はっきりと「これは神話そのものなのだ」と言い切った点で過去のシリーズと一線を画すものになっている。 『フュリオサ』においてその神話的性格が特に重要なのは、監督ジョージ・ミラーが「映画こそが現代の神話だ」ということをレトリックとしてではなく、真正面から作品として提示してみせたことによる。 ミラー監督は常々神話への強い関心と、神話学の大家ジョーゼフ・キャンベルへの傾倒を公言してきた人物で、そのテーマを正面から掘り下げた作品としては、97年のドキュメンタリー映画『40,000 Years of Dreaming』が挙げられる。 この作品でミラー監督はオーストラリア映画の歴史をアボリジニ文化の〈ドリーミング〉と接続して解釈し、さらにそれをジョーゼフ・キャンベルの代表的な著作『千の顔を持つ英雄』で示された単一神話論のうちに位置づけてみせた。