大空襲 語り部は16歳 富山、1日で79年 祖父の記憶「若い世代こそ聞いて」
●西田さん(国際大付高)児童30人に 富山市中心部を焼き尽くした1945(昭和20)年8月1日の富山大空襲で九死に一生を得た祖父の記憶を受け継ごうと、富山国際大付高1年の西田七虹(ななこ)さん(16)=富山市=が31日、最年少の語り部としてデビューした。市内の放課後児童クラブで戦禍の歴史を伝え、平和を訴えた。1日に富山大空襲から79年を迎えるのを前に、「私たち戦争を知らない若い世代こそ聞き、記憶していきたい」との思いを強くしている。 七虹さんは富山県護国神社の近くにある鹿島町2丁目の「しばぞのキッズ」で小学生約30人の前に立った。富山大空襲で燃えている街の写真を掲げ、「今、みんながいるこの場所の近くです」と説明すると、子どもたちに「えー」と驚きの声が広がった。 サポート役の母亜希代さん(54)と一緒に銀色のシートを広げて1坪の面積を示し「この範囲に1発ずつ爆弾が落ちたんだよ」と約1万3千発の焼夷弾が投下された爆撃のすさまじさを語った。当時10歳だった祖父の佐藤進さん(89)が家族と一緒に命からがら避難したことに触れ、約2700人が犠牲になったと伝えた。 七虹さんは「私自身、小学生の時におじいちゃんから空襲の話を聞いた時の衝撃が忘れられないでいる。だからこそ、子どもたちに伝えたい」と強調した。 佐藤さんは空襲から逃れるため、母、兄、妹と一緒に自宅近くの田んぼに避難した。家から持ち出した布団をかぶっていたが、田んぼに無数の焼夷弾が落ち、急いで近くの小川に飛び込んだ。直後、落下した焼夷弾が発火し、辺り一面が火の海に包まれた。2001年に富山大空襲を語り継ぐ会に入り、語り部として活動している。 ●母も語り継ぐ会に 平和を願う佐藤さんの姿を間近で見てきた七虹さんと亜希代さんは昨年、語り継ぐ会に入り、佐藤さんの体験を文章にまとめるなど語り部として活動する準備を進めてきた。1日は富山市の県民会館で開かれている「戦時下の暮らし展」に、親子3人が語り部として参加する。 ●確保難しく4人に 語り継ぐ会によると、現在の語り部は佐藤さん、七虹さん、亜希代さんと大空襲を経験した富山市の松居弘さん(84)の4人となっている。空襲経験者の高齢化で語り部確保は難しくなっており、柴田恵美子事務局長は「戦争を経験していなくても語り部となれるようサポートしていきたい」と話した。 ★富山大空襲 1945(昭和20)年8月1日深夜から2日未明にかけ、米軍のB29爆撃機174機が飛来し、富山市中心部に焼夷弾約1万3千発を投下した。現在の富山城址公園の南東部を中心に直径約2・5キロ圏内の99・5%が焼失。「空襲予定地」の焼失率は全国一となった。富山市などによると、死者は2730人を超え、負傷者は約8千人に上り、約11万人が被災した。