三笠宮百合子さま101歳で逝去 「美しい日本語を話す方」「華族として結婚」した最後の妃殿下
三笠宮妃百合子さまが15日午前6時32分、入院先の路加国際病院(東京都中央区)で亡くなられた。宮内庁が発表した。現在の皇室で最高齢の101歳だった。百合子さまは、昭和天皇の末弟の三笠宮崇仁(たかひと)さまの妻。戦前の皇室を知り、戦争を体験し、3人の息子を相次いで失う悲しみとともに、2016年10月に100歳で亡くなった夫と支え合いながら生きた。その姿を、三笠宮ご夫妻のインタビュー著書もあるノンフィクション作家の工藤美代子さんが語る。 【写真】透き通るような美貌!18歳で皇室へ 結婚の日、ドレス姿の百合子さま * * * 「華族としてご結婚された最後の妃殿下、そして戦前の皇室をよく知る最後の皇族でした」 百合子さまへのインタビュー著書もあり、ここ数年の間にもご本人とお会いしたという作家の工藤美代子さんは、そう語る。 百合子さまは、高木正得子爵の次女として、1923(大正12)年に生まれた。女子学習院本科を卒業した41年に、三笠宮さまと結婚した。 まだ華族制度が残っていた時代のご結婚。おふたりの間には3男2女が生まれ、多くの孫も誕生した。 だが、2002年に三男の高円宮憲仁さま、12年に長男の寛仁さま、14年には次男の桂宮宜仁さまと、3人の息子に相次いで先立たれた。そして16年には、夫の三笠宮さまも亡くなった。 孫では寛仁さまの長女の彬子さまと次女の瑶子さま、高円宮家の長女の承子さまの3人が皇室に残り、活動している。 「そうした悲しみを表に見せることなく周囲に気を使い、常に凛とされた方でした。2年ほど前に宮邸でお会いした際も、車椅子には座っていらしたものの、お元気でよくお話になり、皇室の伝統や文化について聞かせていただきました」(工藤さん) ■「お見合い」は、大宮御所で映画上映会 工藤さんによれば、大正天皇の后である貞明皇后を尊敬し、その薫陶を受けたのが百合子さまだった。百合子さまは工藤さんに、 「貞明さまには、実の娘のように可愛がっていただいた。ほんとうに、至れり尽くせりしていただいて」 と、いつも思い出を語っていたという。 三笠宮さまと百合子さまが初めてお会いした際のエピソードについて聞いていたときのことだ。 1941年1月、三笠宮さまの母、貞明皇后(当時は、皇太后)の住まいだった大宮御所で映画の上映会が催され、百合子さまもそこに呼ばれていた。