陰部露出で人気を博した「伝説のストリッパー」が全共闘に「反権力の象徴」として祭り上げられたワケ
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ」…性的虐待を受けた女性の「すべてが壊れた日」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第38回 『「昼間から一升瓶を抱えて…」すさみきった「伝説の踊り子」を「ふつうの板前」が救えた理由』より続く
「逮捕」へのシンパシー
60年代後半は世界的に学生や労働者、女性たちによる反権力の熱が高まった時代だった。欧米各地で大規模なベトナム反戦デモが起き、社会には市民の熱気が満ちていた。 日本でも68年暮れから始まった東大闘争をはじめ、全国の大学で学生運動が盛り上がった。69年に入ると学生たちは東大安田講堂を占拠し、それを排除しようとする警察との間で激しい攻防となる。新宿西口で開かれていた反戦フォーク集会に機動隊が突入したのもこのころ(69年5月17日)である。 芸能界では『日本侠客伝・花と龍』(東映)で高倉健と藤純子が共演し、いしだあゆみが「ブルー・ライト・ヨコハマ」で大人気となった。テレビや映画に登場するこうしたスターに憧れた日本人男性が、劇場で直接見て会話し、そして、時に触れたのが一条さゆりだった。 大阪万博が開かれた70年は日米安保条約の延長に反対する抗議活動が高まりを見せた。 市民一人一人が社会との関わりを強く意識した時代だった。そして、彼女はたび重なる逮捕によって、学生運動の闘士たちから仲間意識を持たれていく。本人の考えとは別のところで、彼女の名は、強い社会性を帯びるようになった。私が大阪で取材をしていると、彼女の舞台を見た年配男性たちはこう語った。 「ヘルメットかぶってやりあっていたころ、初めて女性のアソコを見たのが一条さゆりの舞台やったよ」 「あのころを思い出すとき、すぐ浮かぶのが高倉健、いしだあゆみ。そして、一条さゆりやね」