「中南米の人たちをサポートしたい」 音楽雑誌の編集者から弁護士に転身した丸山由紀さんの「放浪人生」
●少しずつ改善が進んだ「子どもの在留資格」
在留資格の更新や変更、本国からの家族の呼び寄せ手続きなど、行政書士として入管関連の業務をしてきた丸山さんだが、弁護士になって以降、社会状況の急激な変化に伴い、外国人たちのニーズも変わったと感じている。 「私が弁護士になった当初はまだ在留資格のない人が多かった時期で、南米やフィリピンの方を中心に、在留特別許可(在特)の取得をずいぶん手伝いました。 この時期には、先例的価値のあるケースも多く、実務が前進している、徐々に良くなっているという印象を持っていたのですが、当時は『不法滞在者5年半減計画』の最中で、入管が(在特に対して)緩くなっていた時期という面もあったんです」 元入管職員の木下洋一さんが「在特祭り」と表現したように、2004年から2009年にかけては、入管が「不法滞在者5年半減計画」を掲げ、配偶者が日本人であることなど、一定の要件を満たす人に在特を出すことで、非正規滞在者を正規化する策を取っていた時期だった。 「この5年間は、非正規滞在であっても、日本で育った子どもがいる家族には、『定住者』の在留資格が出ていました。でも、『在特祭り』が終わった2010年以降、入管の対応は一転して厳しくなったんです」 また、丸山さんが弁護士になった2008年は、世界に大きな影響を及ぼしたリーマンショックが起きた年でもあった。 「日系の人たちの多くは定住者や永住者の在留資格があるので、就労制限はありません。失職しても在留資格がなくなるわけではなく、生活保護の受給も可能です。 ただ、日系人が多数来日した1990年代は子どもの教育を含め、日本側の受け入れ体制が整っていませんでしたし、リーマンショック当時になってもまだ不十分でした。 日本社会に受け入れてもらえないことがトラウマになって心が折れてしまう人もいましたし、国も彼らを帰国へと誘導しました」 外国人の受け入れに当たり、日本政府がおざなりにしてきたのが、在留資格「家族滞在」の子どもたちの問題である。教育関係者から相談を受けたことで、丸山さんは弁護士になった当初から、幼少期に来日したり日本で生まれ育ちながらも在留資格に翻弄される子どもたちの問題解決に注力してきた。 「それまで『家族滞在』で来日した子どもの選択肢は、専門学校か大学を出て『技術・人文知識・国際業務』の在留資格を取るか、親と一緒に永住申請をするかのいずれかで、現場からは『進学できる子以外はどうすればよいのか』という声があがっていました。 関係者の働きかけで、まず在日歴が長い子に『定住者』が、その後、『定住者』が出ない子にも『特定活動』が出るようになるなど、段階的な変更を経て、今年7月には、親と一緒に来日した子どもたちが定住者ビザに移行するための要件が明確化されたところです」 丸山さんによると、入管の対応が厳格化している近年、関係者の努力によって成果が出ている数少ない分野が、家族滞在の子どもの在留資格だという。