梅宮辰夫さん死去 壮絶なまでのプロ意識、昭和の大スター
俳優・梅宮辰夫さんが12日朝、神奈川県内の病院で慢性じん不全のため亡くなった。81歳だった。マスコミ各社が一斉に報じている。
がんと闘い抜いた梅宮さん 親友の死に声詰まらせ…
梅宮さんは2016年に十二指腸乳頭部がんを患い、昨年9月には前立腺がん、今年1月に尿管がんの手術を受け、これまで6つのがんを患ったが、7月には倉本聰脚本、石坂浩二主演の「やすらぎの刻(とき)~道」(テレビ朝日系)で1年10ヵ月ぶりドラマ復帰も果たしていた。主人公・菊村栄(石坂)のもとに突如、現れる亡き父・栄一役を演じた。 梅宮さんは、相模湾を一望できる神奈川・真鶴町の自宅で愛妻クラウディアさんと生活し、食事も自身で作るなどしていた。 2017年1月、公私ともに付き合いが深かった親友の俳優・松方弘樹さんが脳リンパ腫のため亡くなったときは、真鶴で囲み会見を行った。筆者もその際、現地に赴いて取材したが、盟友の死に肩を落とし寂しげな表情が印象的だった。梅宮さん自身、その前年に十二指腸乳頭部がんで12時間におよぶ手術を受けており、日に焼けた肌は相変わらずだが顔つきはほっそりとしていて、「後輩のあいつが早く亡くなってしまうとは」と、悲しみに声を詰まらせていた。
大ケガアクシデントも仕事強行 昭和の大スターの生き残り
昨年3月には都内で生誕80年、芸能生活60年を祝う会に登場。なんと開演前にホテルの玄関で足がもつれて転倒し、額の右側を30針も縫う大けがを負うも顔の右半分が絆創膏だらけという凄まじい姿で、「お客様がいる限り這ってでも行く」と祝う会を強行する強靭なプロ意識を見せていた。 そんな古き良き昭和の大スターの生き残りともいわれた梅宮さんは、1958年、大学在学中に銀座でスカウトされて東映のニューフェイスとしてデビュー。以降、俳優やタレントとして芸能界で大活躍。「仁義なき戦い」をはじめ不良と女たらしを兼ねた「不良番長シリーズ」、「夜の歌謡シリーズ」、「帝王シリーズ」など数々の作品を成功させてきた。その後、自身が経営する事務所「梅宮企画」の倒産など窮地に立たされたこともあったが、72年にクラウディアさんと再婚、同年には愛娘のアンナが誕生した。また、美食家の舌を活かした料理の腕前は本物で、94年には俳優として初めて「料理の鉄人」(フジテレビ系)に挑戦者として登場し、道場六三郎と戦ったほど。実業家・料理家としての才能に長け、「梅宮辰夫漬物本舗」などの事業も展開した。 (文・志和浩司)