笑顔の人の近くにいる方が幸せになれる?つられて笑顔になりやすい人は<精神的健康>がよく、怒りや悲しみが伝染しやすい人は悪いという報告も
◆ボトックス注射で人の感情や気分はどうかわるか そんな状況下で、思わぬ方向から表情のフィードバック仮説をサポートする研究が現れました。それはボトックス注射によって表情筋が不動化した人たちの感情や気分の変化を調べたというものです。 ボトックスとはボツリヌス菌がつくる毒素のことで、神経の情報伝達を遮断する効果があります。これを筋肉に打つと、筋肉が麻痺し、収縮しなくなるのです。そのため、美容外科の分野では、顔の表情ジワを取るのに盛んに使われています。 そもそも、表情ジワというのは、老化に伴い、肌の弾力が失われることで、表情の跡がついてしまうものです。眉間のシワは眉をひそめる表情、カラスの足跡とも言われる目じりのシワはデュシェンヌの真の笑いによってつくられたものです。 そのため、前者は眉毛の内側の筋肉に、後者は目の下の筋肉にボトックス注射をすると、表情筋が動かなくなり、結果的にシワが目立たなくなるのです。 そこで、このボトックス注射により、特定の表情をつくれなくなった人の感情や気分がどう変わるかを複数の研究グループが調べました。
◆表情が作れなくなるとうつになる? 眉間のシワは、怒りや悲しみの表情と関係するのですが、眉にボトックス注射をした人は、怒りや悲しみの表情を見ても、筋肉が動かないので、同じ表情をすることができなくなります(図2)。 そのときの脳の活動をMRI装置で調べたところ、怒りの表情を見ても、感情の中枢である扁桃体の活動が増えていませんでした(*3)。 さらに、抑うつ傾向が低減し、前向きな気分が高まりました(*4)。一方、デュシェンヌの笑いを引き起こす筋肉の方をボトックス注射で動かないようにすると、うつ病のスコアが上がるという結果が出ました(*5)。つまり、真の笑顔の表情ができなくなると、抑うつ的な気分が高まってしまうのです。 これらの研究により、表情がつくれなくなると、それに対応する感情のはたらきが弱くなり、精神的健康や幸福度に大きな影響を与えることが、身をもって実証されたのです。 ただ、ここまでの話を読んで、常に笑顔を絶やさないようにしようと思った人は要注意です。実は、落ち込んでいるときに無理やり笑顔をつくると、かえって幸福度が低下するという研究報告があるのです。 もちろん、楽しい気分のときには、笑顔をたくさんつくる方が幸福度はあがります。けれども、そのときの自分の気分に合わない表情を無理やりすると、自分が落ち込んでいることを余計に自覚し、もっと落ち込んでしまうというのです(*6)。 落ち込んだときは、無理やり自分を励まして笑顔をつくったりせず、とにかく寝て忘れるしかないのかもしれません。 <参考文献> *1_ Isomura, T. & Nakano, T. Automatic facial mimicry in response to dynamic emotional stimuli in five-month-old infants. Proc. R. Soc. B 283, doi:10.1098/ rspb.2016.1948(2016). *2_ Strack, F., Martin, L. L. & Stepper, S. Inhibiting and facilitating conditions of the human smile: A nonobtrusive test of the facial feedback hypothesis. J Pers Soc Psychol 54, 768-777, doi:10.1037/0022-3514.54.5.768(1988). *3_ Hennenlotter, A. et al. The Link between Facial Feedback and Neural Activity within Central Circuitries of Emotion-New Insights from Botulinum Toxin- Induced Denervation of Frown Muscles. Cereb. Cortex 19, 537-542, doi:10.1093/ cercor/bhn104(2009). *4_ Lewis, M. B. & Bowler, P. J. Botulinum toxin cosmetic therapy correlates with a more positive mood. J Cosmet Dermatol 8, 24-26, doi:10.1111/ j.1473-2165.2009.00419.x(2009). *5_ Lewis, M. B. The interactions between botulinum-toxin-based facial treatments and embodied emotions. Sci. Rep. 8, 14720, doi:10.1038/s41598-018-33119-1 (2018). *6_ Labroo, A. A., Mukhopadhyay, A. & Dong, P. Not always the best medicine: Why frequent smiling can reduce wellbeing. J Exp Soc Psychol 53, 156-162, doi:10.1016/j.jesp.2014.03.001(2014). ※本稿は、『顔に取り憑かれた脳』(講談社)の一部を再編集したものです。
中野珠実