わずか100日で100万人の命が奪われたルワンダの大虐殺 生き延びた男性が伝えたい平和への思い
30年前の1994年4月7日、アフリカのルワンダで起きた大虐殺=ジェノサイド。民族の対立によって100万人もの命が奪われた。 【画像】わずか100日で100万人の命が奪われたルワンダの大虐殺 生き延びた男性が伝えたい平和への思い その凄惨な悲劇を生き延びた男性がこのほど沖縄を訪れ、平和について語るイベントが開催された。
65人の親類を亡くす
アフリカ東部の国・ルワンダで平和教育者として活動している、クロード・ムガベさん。 クロード・ムガベさんが8歳の時に、ルワンダで大虐殺=ジェノサイドが起きた。 1994年の4月7日に始まった民族間による大虐殺により、わずか100日間で100万人もの命が奪われた。 ムガベさんは大虐殺で父親、妹、叔父・叔母、いとこを含む65人の親類を失った。 2024年3月23日、那覇市で開かれた平和交流イベントは、大学生たちが企画運営した。 ムガベさんが沖縄を訪れるきっかけとなったのは、読谷村のインターナショナルスクールを卒業し、今は大阪大学に通う山田果凛さんとの出会いであった。 起業家としても活動する山田果凛さん。 4年前の2020年、コーヒーの取引のためにルワンダを訪れた際、ジェノサイドの実相を伝える記念館で、ガイドとして働くムガベさんと出会った。 山田果凛さん: 「Hi,I’m from Japan」とムガベさんに言ったら、「日本の沖縄に行って、平和交流することが夢なんだよ」と答えました。「わたしは沖縄の高校生です」と返答すると、「じゃあ、ぼくの夢は叶うね」と答えてくれました
どのように記憶を継承しているのか平和教育を学びたい
初めてアフリカ大陸を離れ、およそ30時間のフライトを経て沖縄に降り立ったムガベさん。 その足で向かったのは、糸満市にある平和祈念公園と資料館。 沖縄大学(当時)本村杏珠さん: 沖縄戦では、うちなーぐち(沖縄の方言)を使うと、スパイ取り締まりということで、刑が科されました ムガベさんを案内したのは、果凛さんの呼びかけで集まった沖縄県内の大学や、インターナショナルスクールに通う若者たち。 79年前の沖縄戦で住民を巻き込む激しい戦闘があったことを説明した。 沖縄大学 中塚静樹さん: ガマはもっと暗くて遮断されている閉鎖空間でして、恐怖が蔓延して、アメリカの捕虜になるくらいならお互いに殺しあうという集団自決も起こっています ムガベさんは「ジェノサイドでは、多くの人が鉈(なた)で殺された。鉈(なた)で殺されるぐらいなら、教会や学校で、自分たちで死ぬことを決めた人もいます。集団自決と同じような状況かもしれません」と話した。 第一次大戦後、ベルギーの支配下に置かれたルワンダでは、もともと共存していた民族を区別する政策が行われ、対立構造が生まれた。 1994年、宗教や言語などに違いはない民族同士であるにも関わらず、組織的な殺害によって多くの尊い命が奪われた。 戦争にいたるまでの政策、そして住民の間で起きた悲劇。ムガベさんは、かねてから沖縄とルワンダの歴史に共通するものがあると感じていた。 「戦後79年を迎える沖縄がどのように記憶を継承しているのか、平和教育のありかたを学びたい」ムガベさんがこの島を訪れた理由だ。 名桜大学 山下匠さん: 一般の兵や住民の名前も刻まれていて、どんな方々もここに記されているのが平和の礎(いしじ)のひとつの特徴です ムガベさんは、「私たちは同じように生まれて、同じように死んでいくので、それを知っていたら殺し合いにはならないのではないか」と感想を述べたいっぽうで、「世界は過去から学びきれていない」と述べた。 平和祈念資料館を訪れた2日後、ムガベさんは那覇市で講演に臨んだ。