元局アナ・河野景子さん59歳&永井美奈子さん59歳が振り返る【バブル期の女子アナ事情】|美ST
河野さんのバブル時代の1枚。ファッション誌「CanCam」の撮影で行ったニューカレドニアでのオフショット
永井 寝る時間もないほど過酷だったけど、なぜか乗り切れましたね。 河野 でも休みになると急に体調不良にならなかった? 私は夏休みをいただくと熱が出るの(笑)。 永井 そうなの! 私も忘れもしない、入社2年目で初めて取らせてもらったまとまったお休みに、友達とハワイに行ったんです。そこで初日からひどい風邪をひいてしまって。声が出なくなって。 河野 大事な商売道具の声が? 永井 アナウンサー生命終わった、と思いましたね。でも帰国したらなぜか急に回復して声が出るという……。 河野 無意識に体が「今は休みだから喉を休ませよう」と判断したのね。プロすぎるわ(笑)。 永井 不思議なことに、どんなに疲れていても生放送では立っていられるんですよ。特番シーズンに椎間板ヘルニアで真っ直ぐに立っていられなかった時期があったんですけど、鍼灸に通いながらMC台にはうように行ってましたね。 河野 もう、ド根性アナよね(笑)。でもあのころって誰も辛い顔は見せなかった。弱音を吐くと置いていかれそうで。寝てない自慢はするけれどね。バブルの空気感でアドレナリンが出ていたのかも。 永井 忙しくて大変なのは自分一人じゃなかったですしね。制作陣が一丸となって面白いテレビを、いいエンタメを作り出そう!という気迫に満ちていた気がします。 河野 確かに!
永井さんのバブル時代の1枚。「入社当時、日本テレビの玄関で。毎日があっという間に過ぎていきました」
永井 若かったからというのもあるけど、基本的に「私は会社員」「会社から与えられた仕事を全力でやるのは当然」という意識が強かったんだと思う。 河野 あのころからよね、女性アナウンサーの仕事の幅が広がりはじめたのは。 永井 そうですよね。そしてSNSの時代になって、今はもともとポテンシャルのあるタレントさんやアイドルだった方がアナウンサーというキャリアも身につけるというのが選択肢の一つ、キャリアの一つとして考えられる時代になった気がします。 河野 時代が違うのよね。 永井 私のようにTHE 会社員体質の人間は、フリーになるなんて考えもしなかったし、なってからもどうしていいか分からなくて。 河野 そんなこと言わないで~(笑)。