「Jリーグ黎明期に起こった『あの謎』について話しましょう」日本サッカー協会元会長・川淵三郎氏の回想
「ネルシーニョ問題」
川淵 そういうことになるね。話は変わるけど、この本に関して一つ補足したいことがある。それは「ネルシーニョ問題」のこと。 田崎 95年秋、日本代表だった加茂周監督の任期が切れ、ヴェルディ川崎の監督だったネルシーニョ・バチスタが後任として内定していました。当時、サッカー協会は強化部長だった加藤久さんを窓口に契約を詰めていた。ところが記者会見当日、急遽、加茂さんが留任。ネルシーニョは「(サッカー協会会長の)長沼(健)、川淵は嘘つきだ。箱の中には必ず『腐ったみかん』がある」と怒りをぶちまけた。 川淵 立場によって見え方は変わるかもしれないけれど、ぼくが知っていることを初めて言います。まず問題が起こると困るので(ヴェルディ川崎の)森下(源基)社長に、ネルシーニョの代表監督就任で進んでいるけれど、大丈夫かと確認した。すると成績が良くてネルシーニョの年俸を上げなければならないので困っていると言う。1億円を要求しているという話だった。 田崎 ヴェルディとしても渡りに船だった。 川淵 そこで代表監督としての年俸を1億円程度にした。加えてワールドカップ出場を決めたら何千万円かのボーナスを払うということになっていた。ところが契約を結ぶ段階になって、ネルシーニョはボーナスを最初に欲しいと言い出した。ぼくは加藤久に「ボーナスを最初に払うなんて馬鹿な話は聞いたことはない。ちゃんと駄目だと言え」と伝えた。 田崎 加茂さんは退任するということで、コーチの岡田武史さんを連れて(運営会社である)全日空スポーツとかつて自分が監督を務めていたフリューゲルスに戻るという話でまとまっていました。 川淵 ネルシーニョと金額で揉めているときに、長沼さんが日産自動車からサッカー協会に出向していた鈴木徳昭に「加茂は全日空の監督に戻ると決まったそうだけれど、本当はどうなんだ」と聞いたんです。そうしたら徳昭はぼくに「加茂さんは代表監督を続ける意思がある」と言ってきた。それでぼくは全日空スポーツの社長だった長谷川(章)さんに電話したんだ。だいたいそういう厄介なことはぼくがやらないといけなかった(苦笑)。 田崎 長谷川さんは全日本空輸の副社長になったフリューゲルスの後ろ盾だった方ですね。 川淵 長谷川さんにネルシーニョとの契約がまとまらずに困っている、加茂をフリューゲルスに戻さずに日本代表監督を続けてくれないかと頼んだ。そうしたら川淵さんがそこまで言うのならばしょうがないってOKになったんだ。 田崎 当時、長沼さん、川淵さんは加茂さんに続けさせたかった。そこで二人が最後の最後でひっくり返した、と報じられていました。しかし、実際はネルシーニョ側が選択肢が自分しかないのを分かって金銭的に足元を見てきた。それでやむなく全日空スポーツに頼んで加茂さんを戻さざるをえなくなった、と。 川淵 (JFA専務理事の)重松(良典)さんから「ネルシーニョしかいない。彼に決める」という話を聞いていた。そこでぼくと長沼さんがネルシーニョにいちゃもんつけたことになっているけど、全く違う。彼が金でごちゃごちゃ言うから話が進まなくなったんだ。それなのに腐ったミカンとか言われて、ぼくは怒り心頭だった。長沼さんは相手にしなかったけど、相当不愉快だったはずだよ。 田崎 報道陣が困惑したのは、加茂監督続投の記者会見で、登壇した川淵さん、長沼さん、(副会長の)岡野(俊一郎)さん、(専務理事の)重松(良典)さん、小倉(純二)さんたちの話が少しずつ違っていたこと。何か裏があるのではないかと様々な憶測が出た。 川淵 5人がそれぞれ自分の思いを言うから、もうバラバラ。だから余計に混乱した。本当は長沼さん一人が出ればいい。その日、ぼくが長谷川さんに電話して説得していたから、会見が始まるのが遅れた。記者も長く待たされたから頭に来ていたんだ。あのときの協会(のマスコミ対応)はド素人そのものだった。その後、(ワールドカップ最終予選中に)加茂を更迭したときは、長沼さん一人が話すことにした。 ---------- 川淵三郎 大阪府立三国丘高校でサッカーを始め、早稲田大学在学中に日本代表デビュー。1964年の東京オリンピックではベスト8進出に貢献。現役引退後は古河電工監督を経て1980年~81年に日本代表監督。1988年にJSL総務主事、JFA理事に就任し、日本サッカーのプロ化を牽引。1991年にJリーグ初代チェアマンに就任。1994年にJFA副会長。2002FIFAワールドカップの日本招致と開催成功に尽力。2002年JFA会長に就任。2008年JFA会長退任後は、日本バスケットボール協会会長や、日本トップリーグ連携機構会長を歴任した。 ---------- ---------- 田崎健太 1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。主な著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラヨン』(カンゼン)、『スポーツアイデンティティ』(太田出版)など。 ----------
週刊現代(講談社)