「売れない要素」まったくなくない!!? ダイハツタフトは初代フィアットパンダを思い出す【テリー伊藤のお笑い自動車研究所】
■三菱自動車元会長、益子修氏急逝。同い年の親友、テリー伊藤が思い出を語る
益子さんとは親しくさせてもらいました。キッカケはベストカーです。2005年の東京モーターショーに出た「コンセプトD5」(デリカD:5の前身)が凄くカッコよくて、ベストカーで「テリー賞」として作ったトロフィーを渡したのが初めての出会い。凄く喜んでくれて、その後よく会うようになりました。 「最近連絡がないな」と思っていたら、体調が悪いから会長を退任するという報道が出ました。普通、名誉職のようなかたちで名前だけでも残るものだけど、益子さんは完全にやめると聞いて、そんなに悪いのかと心配していたんです。 その後、奥さんから電話をもらったんですが、益子さんはもう声が出せないと言われました。でも「テリーさんと話したい」といって電話をくれたんです。奥さんを通じて「元気になって、また軽井沢に行きましょうね」と言ったら、話せないはずの益子さんがしわがれた声で「ありがとう」と言ってくれたんです。 益子さんは「こんなに奥さんを愛している人がいるのか」と思うような人でした。また、この夏、私が熱中症になった時も電話をくれたんだけど、自分の体のほうがもっと大変なのに人の心配をしてくれるんです。凄く繊細で気遣いのある人でした。 「惜しい人を亡くした」とか、そんな言葉では言い表せない残念さと悔しさがあります。益子さんと私は同い年の、まさに親友でしたから。 (写真、内容はすべてベストカー本誌掲載時のものです)