群馬が生んだ元世界陸上ランナー・絹川愛さん 彼女が選んだ第三の人生とは…?(上) 「すごい人」になりたかった中学・高校時代
20年前、群馬県高崎市に「絹川愛」という中学生がいたのをご存じだろうか。当時は高崎中尾中の3年生。華奢な体型からは想像できないほどエネルギッシュで、陸上競技の中長距離では出場する大会で次々と記録を塗り替えた選手だった。彼女が陸上界から姿を消したのは2015年。それからおよそ10年が経った今年4月、自身が世界で活躍するコスプレイヤーの「蓮弥」であること、そして陸上を再開することを公表した。彼女の決断の裏には何があったのか、これから先、どのような人生を送るのか…。中学卒業まで過ごした群馬での日々を振り返りながら、心の内を語ってもらった。
小学校時代、市のマラソン大会で連覇するなど、中学入学前から運動神経は良かった。「自分って足が速いんだ。だったら中学になったら陸上部に入ろう。そんな軽い気持ちだったと思います」。中学では迷いなく、陸上部に入部した。
ただ、部活ではきちんとした練習メニューがあったわけではなかった。「毎日、部活はあったけれど、鬼ごっこしたり、学校の周りをおしゃべりしながら走ったり…。強豪校からしたら、練習なんて感じではなかったですよね」と笑う。
中学2年の時、転機が訪れた。翌年の全国中学総体が群馬県で開催されることが決まっていた。「なんか強化選手に選ばれて、2、3カ月に一度ほどの合同練習が始まったんです。練習についていけなくて、浜川競技場(高崎市)で足がつったのを覚えています」
「でも…」と絹川は続ける。「強化練習のおかげで練習の仕方が分かったというか。短い距離を何本もダッシュの練習をするんだとか、一日に何分ぐらい走るんだとか…。そしたらちょっと面白くなってきて、強化練習で教わったことをノートに書き留めたり、『他にどんな練習をしたらいいですか』と先生に尋ねてみたり。自分でアレンジしていましたね」。原石は磨けば光る。そんなイメージか。
小学校の卒業アルバムに記した将来の夢とは…
一躍、時の人となった「絹川愛」。自身が置かれた立場に戸惑いはなかったのか。「私、小学校の卒業アルバムに将来の夢『すごい人(偉人)』って書いてたんです。何かを成し遂げたかったんでしょうね」と笑う。だから期待されることはプレッシャーではなかった。「逆にうれしかったです。褒めてもらうのもすごく好きだったんです」