「重度の障がい者でも稼げる場所を」年商18億円・チョコレート会社の社長が語る“根底”にあった怒り
障がい者雇用の厳しさと悔しいひと言
モヤモヤした思いを抱えているときに読んだのが『小倉昌男の福祉革命―障害者「月給1万円」からの脱出』という本だ。小倉さんはヤマト運輸の創業者で、引退後に経営の力で障がい者の現状を変えようと、「スワンベーカリー」というパン屋を立ち上げた経緯が書かれている。 夏目さんが地元の福祉施設を回ってみると月給1万円はいいほうで、3千~4千円で働く重度の障がい者もいた。 「衝撃でした。障がいという属性がついた途端に職業の選択肢がなくなって、月給が1万円でも仕方ないなんて、単純におかしいですよね」 夏目さんは大学院を中退して自分で起業しようと、小倉さんに「自分もスワンベーカリーをやりたい」と手紙を何通も送った。 半年後、熱意にほだされたのか、面会が実現する。名刺交換の直前、小倉さんに「君の母体は何だ?」と聞かれた。 「僕1人です」 夏目さんがそう答えると、小倉さんは手にした自分の名刺をサッとしまう。 「帰りなさい」 そう命じられ、面会はわずか数秒で終わった。 「瞬間、すんごい頭が真っ白になりましたよ。でも、それで、絶対やってやるとスイッチが入った。だから小倉さんには感謝してます。商売はそんな甘いもんじゃないって、教えてくれたんだと思うし、もし、あのとき中途半端にやさしい言葉をかけられていたら、途中でやめてたかもしれない。その後、借金まみれになっていくんですけど、絶対やってやると思い続けられたのは、あの『帰りなさい』のおかげじゃないかな」 すぐに事業計画書を作成。会社四季報に載っている製パン会社や地元の小さなパン屋を回って協力をお願いしたが、苦戦が続いた。 「何でおまえに技術を教えないかんの?」 冷たくあしらわれ、目の前で計画書を捨てられたことも。 「ここがダメなら、もうあきらめようか」 約20社から断られ、最後の望みをかけて「Pasco」で知られる敷島製パンの工場を訪ねると突然道が開ける。課長が話を聞いてくれ、なんと使っていない器具や備品を期限付きで貸与。OBを派遣して使い方も教えてくれることになったのだ。