「ママがミカちゃんと遊んだらダメだって」アン ミカ、壮絶ないじめに遭った小学時代から、病室で語った「母への言葉」
小学生時代は壮絶ないじめに遭っていたと語るアン ミカさん。理不尽な扱いを受けながら母の気づいたことがあったといいます(全5回中の3回)。 【画像】「全然イメージと違う」セーラー服姿のアン ミカさん「本人?って思わず写真拡大しちゃう」など(全12枚)
■今まで人気者だったはずが… ── いつもポジティブな印象のアン ミカさんですが、小学生の頃は学校生活が大変だった時期があったと聞いています。 アン ミカさん:小学生の頃は壮絶ないじめに遭っていました。韓国人とか両親の日本語が完璧じゃないということを言われたり、道徳の授業で韓国について習った瞬間に、今まで人気者だったのに、友達の家に遊びに行ったら「あ、ミカちゃん、今日遊べない。道徳で習ったことをママに言ったら、遊んじゃダメだって言われた」とか、理不尽な思いもしましたね。
ただ、うちの母親は戦わない人だったんです。友達とのできごとを、ポロポロ涙を流しながら話すと、「あら、みんな韓国が自然豊かで綺麗な場所で、ご飯が美味しいことをきっと知らないのね」と言って、韓国の美しい景色の写真を私に見せてきて。当時、家がラーメン屋さんをやっていたので、「うちでラーメンと餃子と美味しい韓国料理を食べてもらいましょうよ。その子たちをお家に呼びましょう」と言って、その子たちの父兄に連絡したんです。
向こうはドキッとしたと思いますけど、何組かの家族を家に呼んで、私でも食べたことがないプルコギとか振る舞ったんです。そしたらみんなが「美味しい」って。母も「韓国の美味しいご飯なんですよ」とコミュニケーションをとっていて、母から戦わない方法を学びましたね。まぁ、それでも一部の人たちはしつこかったので、そこでは自分を守るために正しく戦って、強くなりました。 ── 中学生になると、さらに環境が変わったそうですね。
アン ミカさん:中学校はいくつかの小学校が集合してひとつの中学校になり、私は下町から少し遠いところまで通うようになりました。周りは品のある人も多かったし、もともと通っていた教会仲間や小学校からの親友もいて、部活も入り、勉強も頑張り、新聞配達のアルバイトもし、すごく充実していました。先生とも仲がよかったので、「あの不良をまとめるにはどうしたらいいか」など、先生からの相談にのったり、私が間に入ることもありましたね。