「広岡さんとノムさんに共通しているのは…」タイプは違えど二人は“似た者同士”だった?「広岡達朗と野村克也を知る男」伊勢孝夫がホンネで語る名将論
「二人とも、ずっと野球のことばかり考えとる」――広岡達朗と野村克也を知る男は、両者についてこう語った。功罪相半ばする“管理野球の体現者”とされてきた広岡は、ヤクルトスワローズと野球界に何を残したのか? 名将のもとで学んだ伊勢孝夫の言葉から、その本質に迫った。(連載第32回・伊勢孝夫編の#4/#1、#2、#3へ)※文中敬称略、名称や肩書きなどは当時 【貴重写真】鬼と呼ばれた広岡達朗「笑顔でもちょっとコワい…」監督時代のレア写真。ヤクルト初優勝“代打の切り札”の「俳優並にシブい現役時代」「79歳になった現在の姿」も見る(全15枚)
技術は中西太、頭脳は野村克也、管理は広岡達朗に学んだ
伊勢孝夫は広岡達朗監督時代に、選手として唯一となるリーグ優勝、日本一を経験した。そして、現役引退後には野村克也監督の下で、野村の右腕として何度も優勝、日本一を経験した。打撃コーチとしても名高く、現在でも大阪観光大学ベースボールアドバイザーとして指導を続けている伊勢は、自分のことをこう分析する。 「ワシの場合、技術面は中西太、頭脳面は野村克也、そして管理面が広岡達朗でできているんです(笑)」 近鉄バファローズ時代に指導を受け、バッターとしての自信を授けてくれたのが怪童・中西太であり、戦術、作戦面のヒントを与えてくれたのが「ID(データ重視)野球」の野村克也だった。そして、選手の生活面、野球選手としての心構えを説く際には、広岡達朗が実践した「管理野球」を採り入れているという。 「今の大学生は、練習中でもベラベラベラベラ、ベラベラベラベラ、ずーっとしゃべっとる。だから、“練習中は私語厳禁! ”としました。バッティングいうんは、ティーバッティングでその日の調子や状態を見極めて、フリーバッティングでその感触を確かめた上で試合に臨むもの。だから、きちんと集中していなければいけない。広岡さん時代のように、そこは徹底させています」 本人の言葉にあるように、現役晩年に広岡の下で野球を学び、現役引退後は野村の下でさらに野球を究めていく。広岡と野村の両指揮官を知る伊勢に、「二人の共通点、相違点は?」と尋ねると、伊勢はまず「相違点」から切り出した。 「広岡さんは私生活まで、厳しく管理する方でした。でも、ノムさんは私生活は一切、関係なし。その代わり、データに関しては本当にしつこくて、うるさかった。おかげで、96年のオフには大腸がんの手術をしてね。原因はID野球やな(笑)。それに、広岡さんは『人間教育』などはあまり言いはらへん。ノムさんはそれがすごく多かったけど」 続いて伊勢は「共通点」を挙げる。 「広岡さんとノムさんに共通しているのは二人とも、ホンマに野球が好きだということ。ずっと野球のことばかり考えとる。これは甲乙つけがたいですよ」
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