「あのときを思い出したよ」菜七子引退に根本師は涙こらえる「菜七子はいつも一生懸命だった」
愛弟子の急な引退に、師匠として目をかけてきた根本康広師(68)は肩を落とした。「私は再来年2月で定年。せめて自分がやめるまではいてほしかった」。 藤田菜七子騎手のデビュー戦は2016年3月3日の川崎競馬場。各方面と困難な調整が必要だったが、根本師がお膳立てして実現し、大いに注目された。盛岡や高知で騎乗する際は、自ら長距離を運転して東北や四国まで付き添った。JRAで16年ぶりに誕生した女性ジョッキーを一人前に育てるのに、重い責任を感じていた。 「デビュー前に調教に出る時、大仲(従業員控室)で“無理です”と大泣きしたことがあった。報道陣が待ち受ける中で不安になったんだね。その時は報道の人に遠慮してもらった。今回、菜七子は引退届を大泣きしながら書いた。あのときを思い出したよ」。 JRAで3897戦166勝。根本厩舎の騎乗数が最も多く569鞍で、勝利数15も最多(2位は金成厩舎の9勝)。今では丸山元気、野中悠太郎、長浜鴻緒を合わせて4人の弟子を抱える中、乗り鞍を用意してサポートしてきた。馬主の理解も取り付けた。「自分の師匠(橋本輝雄調教師)のように重賞を勝てるような馬を用意できなかったことは済まないと思っている」。騎手時代に数々の重賞を勝ち、ダービーや天皇賞・秋、中山大障害などのビッグレースも制した根本師は、師匠に厳しく育てられながらもいい馬を託された。かわいがってもらった恩を、弟子たちに注いできた。 「菜七子はいつも一生懸命だった。もう(トレセンに)出てこない。時間がたってそのうち、子供たちに乗馬でも教えてあげられるようになるといいな」。 時折涙をこらえて語った。悔しさをぶつける術はなかった。【岡山俊明】