北海道在籍17年…桜井良太が忘れられない涙「すごく感謝しています」Bリーグ、日本代表への思いも語る
今シーズン限りでの現役引退を表明しているレバンガ北海道の桜井良太が、3月12日にバスケットボールキングとスポーツナビで配信されたBリーグ応援番組『B MY HERO!』に生出演した。 【動画】レバンガ北海道・桜井良太が生出演した『B MY HERO!』3月12日配信回 桜井は1983年3月13日生まれの41歳。四日市工業高校、愛知学泉大学を経て、2005年にトヨタ自動車アルバルクでキャリアをスタートさせると、2007年にレラカムイ北海道へ移籍。2010年に経営難によるクラブ消滅というショッキングな事態もあったが、レバンガ北海道の初期メンバーとしてプレーを続け、2016年のBリーグ開幕後もチームを代表する選手の一人として活躍してきた。 今回は、番組MCを務めるこにわと関根ささらが、19年目を迎えた今シーズンをもって第一線から退くことを決意した桜井にリモートインタビューを実施。特別な思いを胸に戦っている現役ラストイヤー、第二の故郷となった北海道、ともにプレーした折茂武彦社長らへの思いなどについて、語ってもらった。
■ 夢舞台に魅せられて「この年までプレーしたのはBリーグのせい」
――今シーズン限りでの引退を発表してラストイヤーを迎えました。いつ決断されたのでしょうか?(こにわ) 桜井 もうここ数年、自分の引退するタイミングを探していたんですけど、一昨シーズンに佐古(賢一)さんがレバンガ北海道のヘッドコーチになって、愛のある厳しさで指導してくれました。佐古さんは僕の中でもすごいプレーヤーであるという記憶があるので、なんとかいいプレーで貢献したいなと思っていましたが、手術を受けて復帰し、自分が動けてきたと思っていても、スカウティングビデオを見たときに「こんなに動けていないのか」というギャップがありました。なかなか元に戻らないし、これだけギャップがあると「もうきついな」と。他にも理由はあるんですけど、それが決め手の一つになりました。 ――引退を決断され、かつてともにプレーしていた折茂武彦社長とも話を?(こにわ) 桜井 昨シーズンの終わり頃にしましたね。ここ数年、一緒にご飯に行くことはなかったので、久しぶりに連絡して、ちょっと話しましょうということで。2人でパフェを食べながら話しました(笑)。 ――2019年のオールスターで初めて取材したのが桜井選手だったのですが、当時ほかの選手たちに“いじられている”姿を見て、フランクに話を聞いてしまいました。嫌な思いをされていなかったのか心配で…(関根) 桜井 全く嫌な思いしてないです(笑)。この前のオールスターでもそうだったんですが、他のメンバーと結構年の差があるので、上手く溶け込めるか心配だったんです。やっぱり引退を発表して今シーズンに臨んだから“レジェンド”みたいな扱いをしてもらえるんですけど、みんな構えて話に来たりするのがすごく嫌だったんですよね。B.WHITEは富樫勇樹(千葉ジェッツ)キャプテンをはじめ、なんとなく「桜井さん、いけるぞ」と察してくれたので(笑)。皆のおかげで気持ちがほぐれて、3ポイントシュートも入りました。 ――やはりラストイヤーともなると試合に臨む意識も違うのでしょうか?(こにわ) 桜井 役割をまっとうするのは、これまでと同じく変わらないんですが、「最後だからなんかしてやろう」じゃないですけど、僕が引退して来シーズンが始まるときに『レバンガ北海道はこれから強くなっていくな』という状況を作りたいと思っていました。あまり自分から人に対して影響力のある発言をしていくタイプではないですけど、ちゃんと思ったことは伝えたほうがいいなと。チームが良くなるために臆せず伝えるようにはしていますね。 ――これまでは“背中で示す”タイプでしたか?(こにわ) 桜井 そういうタイプでしたし、そういう風にありたいなと思っていたんですけど、昨シーズンまで北海道でキャプテンをやっていた橋本竜馬(現:アルバルク東京)の影響もあって。彼は本当に周りに対して思ったこと、やらなければいけないことを伝えていたし、自分でもやることをしっかりやって周りにも示していました。僕より年下ではありますけど、そこは尊敬していましたし、彼がいなくなった今、レバンガには寺園(脩斗)というリーダーシップを持った選手もいるんですが、そこにプラス自分も最後のチャレンジとして周りに影響を与えられるようにやっていきたいなという思いで臨んでいますね。 ――北海道で17年目。これまで移籍を考えたことはなかったですか?(こにわ) 桜井 まず一つは、レバンガの前身クラブ(レラカムイ北海道)が消滅するという事態が起きたとき、あのときはレバンガが立ち上がるというのがまだ決まっていなかったので、移籍するしかないと思っていましたね。 若い頃に何回かそういう話もありました。今はレバンガ北海道もいい状況でチームが進んでいますけど、当時は不安定な状況が多かったので(移籍も)考えたりしましたけど。そもそもなんで北海道に来たのかを考えたときに、アルバルク在籍時に2シーズンともリーグ優勝して、天皇杯も1回優勝して、若いときにいい経験をさせてもらった。自分がプレータイムあるチームで、そのチームを強くするぞという思いで移籍してきたのに、「また強いチームで優勝目指そうかな」というのは、ちょっと筋違いというか。当初の話からズレているなということで、やっぱり選択肢は北海道に残ることでした。僕たちチームよりも選手のことを心配してくれていたファンの方々もたくさんいたので、それで中心選手としてプレーしていた僕が出ていくのは違うなというのもありました。いろいろな理由で北海道に残りましたね。 ――日本バスケ界、そしてBリーグが盛り上がっている現在の状況は、想像できていましたか?(こにわ) 桜井 夢の中では想像していましたよ。でも、まさか自分が現役選手としてやっているときにここまでの状況を体感できるとは思っていなかったです。この年(41歳)まで現役選手をやれたのは“Bリーグのせい”でもありますね。ここまで長く現役選手として過ごしてきて、少しでもこの夢のような舞台でプレーしたいという思いになった部分もあります。 ――Bリーグでは沖縄アリーナはじめ日本中で続々と“夢のアリーナ”が建設されています。(こにわ) 桜井 沖縄アリーナはもちろん、群馬のオープンハウスアリーナ太田も独特の雰囲気がありました。今年のオールスターで最後にミーティングしていたとき、B.WHITEのジョン・パトリックヘッドコーチ(千葉ジェッツ)が「日本のリーグがここまで成長して、これだけの環境でできるというのは本当に幸せなことです」とお話をされていた。ジョンさんは僕がアルバルクにいたときにヘッドコーチをされていたこともあり、長く日本でプレーや指導をされた経験を持っています。その頃を比較してそのような話をしてくれたのだと思いますが、まさに自分も同じようなことを考えていました。トップコーチとして色々な国でやってきたジョンさんから見ても、今のBリーグはすごいと思うんだなと感じましたね。