「26歳で亡くなった知的障がいの兄」鈴木蘭々 マドンナのライブ帰りに知った突然の訃報と「最後の会話」
── ご自身のひとり暮らしのタイミングも重なり、大きなショックを受けたんですね。 鈴木さん: 兄については、本当にひと言で語りつくすことはできません。障がい者としてこの世に生まれ、あっけなく死んでしまった。しばらくの間、「彼の生きた意味は何だったのか?」と、考えたくないのに、いつもそんな思いがぐるぐると頭の中をめぐっていました。妹の私から見ても、兄は世間の冷たい視線や言葉を浴びることが多いように感じました。プラスとマイナスなら、マイナスな扱いばかり受けて、さらにこの世から早くいなくなってしまうなんて、一体どういうことだろうと。
── 鈴木さんに大きな影響を与えたお兄さんの死は、ちょうど鈴木さんが芸能界で売れっ子になる時期と重なります。 鈴木さん:兄が亡くなってすぐ、私の運命が変わり、売れ始めたんです。だから、兄の死と引き換えに私の幸運が舞い込んでいるんじゃないか、と受けとめてしまうこともありました。
■「兄は幸せだった」と言い聞かせる自分がいた ── お兄さんの生と死について、鈴木さんはどのように折り合いをつけたのでしょうか?
鈴木さん:すごく混乱はしましたが、別の角度から眺めている自分がいたこともよく覚えています。別の角度からの自分は、混乱する自分に一生懸命こう言い聞かせていました。「お兄ちゃんは、いち抜けしたんだ。こんな苦しい世界で、ずっと冷たい視線や言葉をかけられて生きるより、先にいち抜けできて、幸せだったんだ」って。 ── つらい経験を乗り越えるために、ご自身で考え抜いたのですね。鈴木さんは、逆境や困難にもふりまわされにくいタイプなのでしょうか?
鈴木さん:そんなことはありません。だいぶ、ふりまわされていますよ(笑)。むしろ、年齢を重ねたいま、責任が重くなったので、できれば逆境や困難は来ないで、と思ってるくらいです。大変だから(笑)。 ただ、感情の起伏は昔から少ないほうで、わりとフラットですね。若いころはもっとフラットで、どうしてなのかはわかりません。「自分も、もっと感情丸出しで生きてみてもいいのかも?」と、感情的な人に引きずられて、時々考えることもありますが、はたから見ると本人はけっこうしんどそうだし、まわりの迷惑になるケースも多々あります。やっぱり、感情丸出しでないほうが自分はいいや、ってところに着地します(笑)。